【文芸部創作】F・O・G-Chapter 2 著者:kj

※前回の『F・O・G-Chapter 1』はこちら。


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「よし、今日の割り当てはこれで終わりだ。

 今日も一日お疲れ様。」


 最後の貨物を受け取り主に運び終わった時、キュクロ復興支援本部から今日の活動の終わりが告げられる。この復興支援現場では大した仕事はしていないサキだったが、本部からの労いの言葉や貨物の受け取り主からの感謝の言葉を聞くと、素直に顔が綻んでしまう。そのまま宿舎に戻ってもいいのだが、夕暮れの街や人々の様子をじっくり眺めるためにも、大きく遠回りして、ゆっくり時間をかけて帰ることにする。サキにとっては、復興業務自体はおまけのようなもので、この遠征中に街やそこに住む人々を観察することのほうが本業に近い。


 サキがこの田舎町「キュクロ」に来たのは一ヶ月ほど前であった。ハヤトの指導のもと、脱初心者といえるくらいにはこの世界に慣れてきたサキにとって、今回の遠征は不謹慎ながらちょうど良いくらいの規模であったと言える。この世界で、ここまで長い期間ハヤトと別行動を取るのは初めてだったが、復興現場独特の空気感にもだいぶ慣れてきたところだ。


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 一ヶ月前にこの「キュクロ」を襲った自然災害。災害の規模も、街自体の規模もそこまで大きくなく、世界全体に与えるインパクトはごく限られたものであった。しかし、それでもそこに土地や資産を持つ者たちが被る被害は小さくない。特に、この地方は鉄鉱山を有し、製鉄業を主要産業とする街であったため、鉄鉱石の採掘および製鉄用の設備の復旧に時間がかかりそうな見通しであった。災害後、地元の人々を中心としたクラウドファンディング事業が迅速に立ち上げあれ、復興に必要な資金と復興支援志願者が募られた。


 復興業務自体はそこまで過酷ではなく、それでいてある程度長期的に復興現場での経験が積める今回の事業はサキにとってはうってつけだった。支援の見返りとして付与される鉄鉱山の権益も、微々たるものながら安定した資産として魅力的だ。各種金属や化石燃料、宝石類や魔法石などの多様な資源を有するこの世界ではあるが、現実世界同様に鉄資源の汎用性はやはり群を抜いている。もちろん、この世界を知り、人脈を広げながらスキルを上げていくのが今回の遠征の主要な目的だが、もらえるものはもらっておくに越したことはない。


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 宿舎に着くと、部隊の仲間たちが暖かく迎えてくれる。仲間たちから送られるメッセージやスタンプに返事をしつつ、まずは自分の部屋に戻る。すでに酒場 - という名目のVRチャットルーム - で盛り上がっている仲間たちを傍目に、自室で作業を進める。その作業とは、今日一日見てきた光景や音を想起し、自身のクラウドストレージに保存することだ。これからのこの世界で生き抜くためにも、人との交流は欠かせないことは間違い無いが、イメージだけはその記憶が薄れる前に保存しておきたい。


「早くこっち来なよー」


 アンドルーやリサがチャットルームへの招待を送ってくるのを華麗にスルーしながら、イメージのインプット作業を着々と進める。無事に最後のデータ転送が終わり、ハヤトに一言メッセージを送ってから、ようやっとチャットルームに顔を出す。


「遅くなってごめん、今は何の話をしてたの?」


 そのチャットルームに参加していたのは、執拗に招待メッセージを送ってきたアンドルーとリサの二人に、コタローとジェーンを加えた4人のようだ。狼人間のアバターを使っているアンドルーを筆頭に、フランス人形のような可愛らしい風貌のリサ、サムライ風の服装に眼帯をつけたコタローに、エキゾチックな刺青の入った褐色の肌を持つ美人・ジェーンと、はたから見たらなかなかカオスなメンバーだ。しかし、このFOG世界では別段珍しいことではない。極々平凡な、自身の高校時代の似姿をアバターに設定しているサキの方がむしろレアかも知れない。この世界のプレイヤーのアバターは大体が美男美女か、ウケを狙った人外だ。


 ジェーンを除く3人は、サキと同様に復興事業のために他の土地からきた志願者で、ジェーンはこの街の原住人として中の住人と外からの支援者の間を取り持つ役割をになっている。この事業が始まった一ヶ月前に知り合ったばかりだが、こうして一緒に前向きな活動を続けていると自然と打ち解けてくるものである。


「ううん、気にしないで。私たちもさっき集まったばかり。今のこの街の状況についてジェーンに色々教わってたの。私やアンドルーはあまり外に出ないから、復興がどれくらい進んでいるのかがよくわからなくて。」


 貨物の運搬のために街中を歩き回るサキと違って、一日中製鉄所で仕事をするリサやアンドルーは外に出る機会があまりない。魔道士をメインジョブとするリサは、製鉄に必要な炎魔法を唱え続けているし、機械・電子技師のアンドルーは製鉄所で破損した制御システムの復旧活動に大忙しだ。


「みんなのおかげで街の復興自体は順調よ。建物を作るための鉄鋼材はまだまだ足りてないけど、公共設備の再建はもうだいぶ目処が立ってきたし、軸足は徐々に民間の支援の方に移ってきた感じね。

 問題は鉄鉱石の坑道の復旧がなかなか上手くいっていないことで、ちょっとここが時間がかかりそうかな。結構人手が必要だから、場合によっては製鉄所で働いてもらっているアンドルー達にも手伝ってもらうことになるかも。」


 後からきたサキのために、ジェーンがこれまでの議論をざっくりとまとめてくれる。現地と支援者たちの間を繋ぐハブの役割を担うジェーンには自然と情報が集まってくるようだ。必要なところに必要な援助を分配する機能を背負っている彼女にとって、他愛もないこのようなチャットで全体の情報を参加者たちに発信することも仕事の一部なのだろう。


「鉄鉱石の備蓄の量はどんな感じ?鉄鋼材が切れちゃうと建物の再建にも支障が出てきそうだけど。」


 リサが訊ねる。鉄鉱石から鉄鋼材への処理を行う製鉄所で活動しているリサにとって、それは重要な情報だ。坑道がしばらく機能しないとなると、原料となる鉄鉱石の備蓄が切れた瞬間に製鉄所は稼働しなくなる。


「備蓄はまだ十分あるから、製鉄所の稼働はしばらくは問題無いと思う。なんてったってこの街の基板産業だから、ちょっと災害があったくらいで全部の機能が停止するわけにはいかないからね。魔導部隊以外にも魔法を使える人はいるから、そっちの仕事に退屈したら遠慮なく言ってね。」


「うーん、考えておく。私のスキル的にこの地方に一番貢献できて、高い報酬がもらえるのは熱処理現場だから、他のことに時間を使うのも勿体無い気がするし。」


 言っていることは至極まっとうなことだが、フランス人形のような見た目で報酬と言われるとちょっとちぐはぐな感じは否めない。


「うん、まあ気が向いたらでいいと思うよ。どのみち、制御システムが復旧して、石炭の供給が安定するようになるまでは魔法に頼ることになりそうだしね。」


 大方の予想に反して、この世界では魔法と機械のハイブリットは意外とうまく機能していた。「魔法が有れば機械はいらない」「機械が有れば魔法はいらない」。この世界がリリースされた当初は双方の意見が飛び交っていたものの、なんだかんだでそれぞれが長所を補完し合いながら、両者が淘汰されずに残っている。この製鉄所でいうならば、平常時は主に機械によるオートメーション運転、今回のような災害時は人のよる魔法によって駆動する、というような住み分けだ。この世界には擬似乱数による自然災害やモンスターの発生が実装されているが、その不確定要素が魔法の居場所を守っていると言える。何が起こるかわからない状況に於いては、特定の機能に特化した機械システムよりも、完璧ではないが小回りの利く魔法の方が重宝されるのが現実だ。


「それで、モンスターの方はどうだ?異常なモンスターの発生情報はないのか?」


 今まで会話に参加していなかったコタローが、もう一つの不確定要素について訊ねる。


「今のところそういった情報はないわ。低級のモンスターは平常通り発生しているけど、致命的になりそうなモンスターは今のところ出てきてない。」


 災害現場ではモンスターの発生状況には神経質にならざるを得ない。そもそも災害によって討伐できる体制が脆弱になっていることに加え、ゾンビ化という問題も付き纏う。復興中に強力なモンスターがスポーンすると、それまでの努力が水の泡になってしまうことも十分考えられる。


「それなら良かった。なにかあったらすぐに伝えてくれ。」


「それはもちろん!今この街にいるメンバーで一番頼りになるのはコタローだから、なにか有ればすぐにあなたに連絡がいくはずよ。」


 コタローは昔、かなり長い間このキュクロを拠点としていたらしい。今は用心棒や魔物退治を生業として各地を転々としているようだが、かつての拠点の危機と聞いて、護衛部隊としてこの復興活動に参加することを決めたようだ。


 ジェーンの言葉通り、コタローの実力は今回の護衛部隊の中でも頭一つ抜けている。FOG世界の古参プレイヤーであり、この世界全体でも有数のスキルを持つ実力者と目されているのは間違いない。コタローが操る日本刀風の武器はこのキュクロの伝統工芸の一つであり、コタローに憧れるプレイヤーたちが、その武器を求めてこの地方を訪れることも珍しくない。


「しかし、こんなに長いことモンスター退治をやっている奴も珍しいよな。実力的にはあのハヤトよりも上なんじゃないか?」


 サキの方をチラリと見つつ、アンドルーが軽口を叩く。サキは曖昧な笑みを浮かべつつ黙っている。


 実際、アンドルーの指摘通り、古参プレイヤーで魔物討伐をメインジョブとしているプレイヤーはあまり多くない。もともとネットギークの界隈で生み出されたプラットフォームということもあり、古参プレイヤーの活動は主にシステム開発やプログラミングと言ったテクノロジー関連が主なものだ。ハヤトもその例外ではなく、FOG世界を守るための「世界の危機」レベルのクエストには参加するものの、平時にやっているのは新規事業のシステム開発やクラウドファンディングのスマートコントラクトの作成がメインであり、モンスター討伐に参加することはほとんどない。


「いや、そんなことはない。確かに動きのしなやかさや洗礼度の面では私の方が優れているところもあるだろうが、各モンスターの行動特性や思考回路の理解、そして弱点把握や適切な戦略の面ではハヤトにはとても敵わない。何度か一緒にチームを組んで戦ったからこそわかるが、モンスターとの戦い方は彼のほうが一枚も二枚も上手だ。」


「そんなもんなのかねぇ。俺のような凡プレイヤーにはわからない領域ということか。」


 ハヤトについての噂話を総合する限り、コタローの言うことは正しいようだ。その動きが超一流なのは言うまでもないが、ハヤトの強さの源泉はモンスターについての並外れた知識量らしい。もちろん、オープンソースという特性上、全てのモンスターについての全てのデータファイルは全てのプレイヤーに公開されている。しかし、それは全員が同じ知識を有していることを意味しない。何も知らない人から見れば、ただの数字と文字の羅列でしかないデータの持つ意味を、適切に把握しているからこそ無数のプレイヤーの中で頭一つ抜けているのだ。


「そういえば、サキはいつも単独行動だけど大丈夫なの?」


「うん、そこまで大事な荷物を運んでいるわけではないし、最低限の武器はいつも携帯してるしね。たまに、低級モンスターと出くわすことはあるけども、私一人でなんとかできてるよ。」


 最悪サキがモンスターによってキルされたとしても、失われる貨物などたかが知れているし、軽装で護身用の武器程度しか持っていないサキがゾンビ化しても付近の住人によってすみやかに機能停止させれられるだろう。


「いざとなったら、ハヤトが駆けつけてくれるだろうしな。」


 アンドルーがニヤニヤしながら呟く。狼人間のアンドルーにはこのニヤケ笑いがよく似合う。さながら赤ずきんちゃんを捕食せんとする狼のようだ。サキが困ったような顔をして黙っていると、リサが助け舟を出す。


「もう、サキをいじるのはいい加減にしなさいよ。」


「悪い悪い。サキはリアクションが面白くてつい。」


「つい、じゃないわよ。」


 結局、日付が変わるまでの間、そんな他愛もないお喋りが続いたのだった。


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「ねぇ、ハヤト。ちょっと教えてほしいことがあるんだけど。」


 部室で淡々と作業をしていたところ、サキから声をかけられる。


「この前のハヤトの話を聞いて、ブロックチェーンについて調べてみたんだけど、この「Proof of Work」ってのがイマイチよくわからなくて…」


 どうやら、一週間前の講義を聞いてサキなりに調べてみたようだ。日本語のネット記事には手を出さず、まずサトシ・ナカモトの英語の元論文を読んでみようとするあたり、サキらしい。目先のわかりやすい情報に飛びつかず、しっかり原典に戻ろうとするサキの姿勢はハヤトにとっても好ましいものに思えた。もう少し手軽なページから読んでもいいんじゃないかとも思うが、実際に検索した限り、それこそ「bitcoinで億万長者」といったようなページが氾濫しているのが現状だ。そう考えると、それはそれで正解のような気もする。


「よし、わかった。じゃあまたホワイトボードを使って説明しようか。」


「本当に?忙しそうだし、わざわざそこまでしてくれなくても…」


「いや、そんなにやることも多くないし、人に教えると自分の理解も深まるから、聞いてくれるのはこちらとしてもありがたい。簡単に一言で教えられるものでもないしな。」


 やることが多くないという部分は大嘘だが、後半部分は本当だ。何か新しいことを調べるときには、後でサキに教えるつもりで調べると明らかに定着が捗る。サキに色々と教えておけば、後々作業を頼めるようになるかも知れないし、人に教えることはそんなに悪いことではない。なにより、サキはリアクションが良いので教えがいがある。


「「Proof of Work」を端的に言うと、ブロックチェーンの取引を承認する仕組みだ。Bitcoinでは、この「Proof of Work」が信頼性を担保すると同時に、Bitcoinの利用を促すためのインセンティブとして働いている。この前の講義で、ブロックチェーンではサーバーを持たないと言ったのは覚えてる?」


「それはもちろん。中央サーバーを持たないから「非中央集権型」ネットワークと呼ばれてるって話だったよね。」


「そのとおり。そして、その場合に問題になってくるのは、どうやってこのブロックチェーンの信頼性を担保するかだ。中央集権の場合は、その信頼性の担保を中央のサーバーで行えば良かった。不正な取引がないかどうかを中央のサーバーが監視し、そこで承認された正常な取引のデータだけがプラットフォームに残されるというわけだ。」


 ハヤトはホワイトボードに前回と同じ図を書いて、マーカーの先でサーバーの文字をトントンと叩く。


「まあ、これはこれで中央に集まっているがゆえのリスクはあるけども、承認の流れ自体はシンプルだ。さて、ではサーバーレスのブロックチェーンだと、この承認は誰がやればいいと思う?」


「え、全然わかんない。みんなから認められた人が代理で行うとか?」


 さすがだ、ハヤトは素直にそう思った。正解ではないが、振られた質問に対して自分なりに考えてなんらかの答えを出そうとする姿勢と瞬発力を持っているのは、同世代ではなかなか珍しい。


「それはそれで民主主義的なやり方かも知れないね。でも、この「Proof of Work」のやり方はそうじゃない。」


「じゃあ、どうやるの?」


 あえてちょっと溜めを作ってから、勿体ぶるようにして答えを教える。




「みんなで数学の問題を解く。」


 あまりにも予想外の答えに、サキは思わず笑ってしまってバランスを崩す。ハヤトは、サキが予想どおりのリアクションをしてくれたことに思わずニヤニヤしてしまう。


「そこ、ふざけるところ?」


 怒っているとも笑っているともつかない口調でサキが苦情をいう。


「いや、別にふざけているわけじゃないよ。マイナーと呼ばれる参加者たちが、取引ごとに固有の数学的な問題を解き、誰かがその答えに辿りついたらその取引が承認されるという仕組みなんだ。問題を解くという「Work」によって取引の信頼性を証明、つまり「Proof」するから「Proof of Work」というわけだ。厳密な話をすると色々と語弊はあるかも知れないけど、大まかな理解としてはこれで十分だと思う。」


「うーん、なんだかわかったようなわからないような。その数学的な問題ってのがイマイチ想像できないんだけど。」


「まあ、この仕組みがあんまりピンとこないのは仕方ないかも知れないね。他ではあまり見られない仕組みだし。実際にマイナーが挑む問題を一言でいうと、暗号解読なんだ。」


 ハヤトはホワイトボードに向かい、キュキュッと図を書いていく。今度は真ん中にfと書かれた四角(箱)があり、左にはその箱に向けた右向きの矢印と「x」の文字、右側にはその箱から出て行く右向きの矢印と「y」の文字が書かれる。


「これは、数学でよく出てくる関数、かな。」


「その通り。これは、良く数学の教科書でも出てくるy=f(x)を表した図だ。xというインプットが、なんらかの操作を行う関数fを通って、アウトプットとしてyが得られるという関数だね。」


 そう言って、今度はその箱の左右に、右から左の矢印を書いて、その上にバツ印を書き入れる。


「ブロックチェーン技術の「Proof of Work」で使われるのは、ここに書いているような一方向関数だ。つまり、xからyへの変換は簡単だけど、アウトプットであるyからインプットであるxが得るのが非常に困難な関数だね。詳細は高校数学の範囲を超えてるからここでは説明しないけど、重要なのはこういう性質を持つ一方向関数があるということなんだ。」


「それがさっきの暗号の話とどうつながるの?」


「実はこの一方向関数というのは暗号技術において重要な意味を持つ関数なんだ。僕らがインターネットを通してクレジットカード番号みたいな極秘の情報を送信できるのも、この関数があるからなんだね。仮想通貨が暗号通貨と呼ばれるのも、こういった暗号解読プロセスを通してやりとりされる通貨だからってのがある。俺自身も、仮想通貨よりも暗号通貨という方が実態に即していて適切だと思う。」




「えっと、それじゃあ「Proof of Work」で解く問題ってのは、その関数fとアウトプットyからインプットxを求める問題ってこと?」


 サキのあまりの勘のよさに、ハヤトはつい目を見開いてしまう。


「お、鋭いね。その考え方で問題ない。実際は、暗号解読という言葉からイメージされるような知的な活動ではあんまりなくて、実際はコンピューターのマシンパワーに物を言わせて、しらみ潰しにトライしているのが現実だ。とりあえず色々な値を関数fにインプットしてみて、答えとなるyと一致するかどうかを確かめる退屈な作業みたいだね。」


 ハヤトの話を先取りできたサキが得意げな顔をしている。かわいい。

(ちょっと待て、俺は今何を感じた?)


 唐突にハヤトの頭の中に浮かんだ「かわいい」という言葉に、自分自身でも狼狽る。確かに愛嬌はあるし、素直で健気なところは好ましいと思う。しかし、サキは決してかわいいと言えるタイプではないし、どちらかというと地味な女の子のはずだ。狼狽を悟られないように、必死で冷静さを取り繕う。


「確かにそれは全然スマートじゃない。そもそも、何でそんなにめんどくさいやり方で取引の承認を行うわけ?」


 どうやらサキには悟られていないらしい。しかし、あまりに突然のことだったので、話の脈絡が思い出せない。時間稼ぎに時計をみると、幸い既に5時に近い。


「いい質問だね、っと言いたいところだけど、そろそろ5時だから今日はこのくらいにしておこう。そのあたりの話をするためには、ちょっと時間がかかりそうだ。」


 ハヤトがちょうど言い終わり、混乱を悟られなかったことに胸を撫で下ろしたところで、ちょうど夕方5時のチャイムが鳴る。今日もともとやる予定だった作業が全く進んでいないことに気づいたが、まあ仕方がない。家でじっくりやれば良い。しかし…


「じゃあ、またね」


 荷物の整理を終え、PCのシャットダウンを完了したサキがラボを立ち去る姿を見ながら、ハヤトは思考を巡らせる。この気持ちを持ち帰って、果たして冷静に作業ができるのだろうか、と


> to be continued

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