2021.12.31 03:05『薔薇の下で』著者:鋤名彦名 埋もれた記憶の中から蘇ってきたその若々しい肉体を、わたしは今から愛でようと思う。その若々しい肉体とわたしの交わりをこの場で公にするが、これが記憶の中にあった断片を繋ぎ合わせたものであるか、それともわたしの筆による空想の産物なのか、それはあなた方の思うままに任せよう。わたしはただ、その肉体との交わりが、わたしの愛であるのか、それとも否であるか、問いたいのである。 記憶の底から蘇ったその若々しい肉体の名はミズキと言い、わたしから四つ離れた血の繋がった弟である。なぜ今わたしの記憶の中からミズキの肉体が蘇り、瞼の裏のスクリーンに映し出されているのか、それは自分でも分からない。スクリーンには十二、三の年頃にミズキの裸体が映っている。ここから少し情景をはっきりさ...
2021.03.29 13:27『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(最終回)』著者:へっけ※前回の『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第三回)』はこちら 今日の町田市は昨日の町田市とは全然違っている。それは街並みに変化があったり住んでいる人間が全て死んでしまったりした訳ではなくて視覚や肌で感じる空気感、雰囲気が違うという意味でだ。 これまでにない緊張で手足が痺れてきて息も苦しくて過換気症候群を起こしたみたいだ。片膝を床に着いて倒れそうになるが、戦う前に倒れる訳にはいかない。 俺は脳内でナンバガの向井秀徳がシャウトしている映像を繰り返し思い浮かべて気を紛らわせる。少しだけだけれど呼吸が楽になってきた。ありがとう向井秀徳。 自分の部屋で着替えを済ませた俺はママに声をかけようとリビングへ移るが人のいる気配がしない。 嫌な予感がする。 もしかしたら...
2021.01.25 12:46『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第三回)』著者:へっけ※前回の『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第二回)』はこちら 俺は、夢の世界にいる。 何故そんなことが分かるのかというと鈴ちゃんのバラバラになった死体が目の前に散乱しているからだ。 最強のヒーローであるママがいるのだから鈴ちゃんが穴師に殺される訳がない。 だからこれは夢なのだ。 それも最低最悪の悪夢だ。 俺は鈴ちゃんのバラバラになった手足と胴体と首を抱えながら町田駅へ向かう。 今が何時かも分からないが道中、通行人を一人も見かけることはなかったから町田の住人が全て死に絶えてしまったのかもしれないと思った。 町田駅で八王子行きの電車に乗って車窓から空を眺めると雲ひとつない青空だというのに太陽はどこにも見当たらない。もし太陽が失われてしまっていたとしたらき...
2020.12.28 09:00『瑠璃子の舌』著者:鋤名彦名 楽しみにしていたプリキュアショーを見終えて興奮気味の瑠璃子の手を握り、私たちは園内にある売店でソフトクリームを買った。四歳になる姪の瑠璃子は少し右側に傾いた白い巻貝のようなソフトクリームを落とさないように両手で持ってベンチに座わり、私にプリキュアの描かれた布マスクを外させてから、その白く照っているクリームに薄いピンク色をした舌を伸ばした。ソフトクリームの尖った先端がくるりと丸まった部分を舌先で少し突くようにして舐め、瑠璃子は隣に座っている私の方を向いて「ちめたいね」と言った。そしてまた舌を伸ばし、今度は渦巻の段々を削り取るような力強さでソフトクリームを下から上へと舐め上げた。唇の左端に付いたクリームは皮膚の体温でゆっくりと溶け、滴ると思った瞬間に瑠璃...
2020.12.22 10:11『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第二回)』著者:へっけ※前回の『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第一回)』はこちら 現在、このクソ治安の悪い町田市は、市政始まって以来の惨事に見舞われている。はっきり言って一九六四年に四名の死者と三十二名の怪我人を出した町田米軍機墜落事故を上回ると俺は思っている。まあその時、俺は生まれていないからその事故のことはよく知らないのだけれど。 さて現在の惨事とは何かと言うと、町田市少女七人連続殺人事件。 通称「穴師事件」だ。 何故こんな通称が付いたかと言うとそのあまりに猟奇的な殺害方法に理由がある。 三ヶ月前に初めて殺害された女子高生の荒木舞は、玉川学園前駅近くの公園で死体となって通行人に発見された。 その死体は上半身と下半身が切断されていて、下半身は公園中央に突如としてできた...
2020.11.24 13:31『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第一回)』著者:へっけ※前回の『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(序章)』はこちら「風が嫌いなんだ」 俺は思う。 生まれてこのかた十五年、風を好きになることなんて一度もなかった。 小学校の入学式の帰りに吹かれた春風、初めて見に行った隅田川の花火大会で吹かれた夏風、三好家菩提寺の境内で焼き芋を食べながら吹かれた秋風、去年のクリスマスで神田鈴に振られた直後に吹かれた冬風。 俺は風に吹かれる度に愚痴をこぼしてママを困らせる。 ママは苦虫を噛み潰したような顔でこう答える。「前にも言ったけど葉(よう)は気にしすぎだって。頭が気になっちゃうから風が嫌なんでしょ? ママはその頭、悪くないと思う」 適当に受け流そうとしているけれど俺はもう高校生だからそんな子供騙しには乗らない。「ママは慰...
2020.11.19 15:54『十一月二十二日』著者:ののの「わかちゃんってさ、変わってるよね」「え?」 それは、わたしに審判が下された日。「こんなの書いててさ、なんか暗くない?」 小学三年生だったか四年生だったか。記憶は定かではないけれど、まだわたしがそれほど周囲を疑わず、純粋だったころだ。クラスの子から喧嘩を売られた。唐突に感じたけれど、きっと普段から煩わしかったのだろう。彼女の名前はもう覚えていないのでAとしよう。Aは、わたしと友だちが二人だけで楽しんでいた交換ノートを手に持っていた。教室の真ん中で、鬼の首をとったかのように誇らしげにノートをひらひらさせた。クラスの子たちに注目されて興奮でもしたのか、彼女はノートの内容を面白おかしく朗読した。「Bちゃんもこまってるって言ってたよ」 Bちゃんとは、わたしと一...
2020.09.18 13:56『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(序章)』著者:へっけ 【序章】 俺は、八歳の時に初めてジブリ映画を観て「正直言ってあんまり面白くはないな」なんて呟いた。 初めて見た作品というのは、一九八八年に公開された「となりのトトロ」。 サツキとメイの姉妹が、お母さんの病気療養のためにお父さんと一緒に緑豊かな田舎に引っ越すところから物語は始まる。 新しい家には、小さなお化けが住んでいて、これじゃまるで「お化け屋敷」だと新生活に不安を感じるサツキとメイ。 森の奥には、巨大なお化け?生き物?の「トトロ」も住んでいて、八歳の俺は「何この生き物!何処の森に住んでるんだろう!飼いたい!!」とママに言って困らせてしまう。あの時はごめんねママ。 ストーリーの大筋は特に不満を感じることはなかったのだけれど、サツキとメイの家に住む毛...
2020.08.29 09:12『玉しゃぶりやがれ(3)』著者:片側交互通行※前回の『玉しゃぶりやがれ(2)』はこちら3「どこに行くんですか」 久留巣さんの格好はバイトでは見ることのできない可愛らしい姿だった。秋らしいワンピースに薄手のコートを羽織っている。おしゃれだと感動を覚える。一方私は彼女の隣を歩いていいのかと思いたくなるような格好をしている。赤いシャツに黒いパンツ、黒いジャケットという平凡な姿で不釣り合いなのではないかと不安になる。「普段なかなか見れないところ」 ようやくバイトで話ができるようになって四ヶ月経った。 職場では話が弾むこともあった。主に臼井さんのおかげである。売り込みが非常に上手く、将来ああいう人が営業に就くのだろうと思った。 いつも自転車で行動しているので、電車の交通費は痛い出費だったが、ケチな男と思わ...
2020.08.01 09:12『玉しゃぶりやがれ(2)』著者:片側交互通行※前回の『玉しゃぶりやがれ(1)』はこちら 2 木槌の音で目を覚ました。 弁護士が腰を上げている。睡魔と戦い始めたところまでは覚えていた。まあいいや、と思ったら眠りに落ちた。 やはり裁判は刑事事件に限る。民事は退屈でしょうがなかった。後か先か、払ったとか払ってないとか子供の喧嘩のようなものだ。 開廷表を見るために一階に降りる。開廷表はその日裁判が行われる事件の一覧が乗っているものだ。開始時間と何の事件が行われて、被告人の名前と審理予定、判決なのか初公判なのかがわかるようになっているファイルだ。 ロビーに降りると、学生なのか若い女性が開廷表を見ていた。彼女は髪を後ろで縛り、顔に掛からないようにピンで止めていて聡明な印象を受けた。きれいな女性を見ると格好を...
2020.06.16 09:25『三景 第三景「町田(後編)」』著者:へっけ※前回の『三景 第三景「町田(中編)」』はこちら第五節「言葉にならない、笑顔」(1) 深い呼吸、体重の減少。嶺は、少しずつ衰弱してきている。昨日よりも今日、今日よりも明日と日を重ねるごとに、その瞳の潤いが失なわれていく。食後の嘔吐が頻回に見られて、満足に栄養を摂取できていない。でも目が合うと、残り僅かな気力を振り絞って僕を睨めつけるのだ。夏子を部外者たる僕から守ろうとしているのか。でも僕は別に、夏子に危害を加えようなんて思ったこともないし、むしろ彼女の助けになろうと考えながら生きている。僕が考えている最善の案は、嶺にとっては受け入れ難いものだろう。冗談じゃないと思うだろう。しかし、仕方ないではないか。僕と夏子の時間、空間の中には、他に何も存在しない方が...
2020.05.27 13:02『玉しゃぶりやがれ(1)』著者:片側交互通行1「うるせぇよ。玉しゃぶりやがれってんだ」 と言いたいのを堪えて頭を下げる。 というのは嘘だ。客に頭を下げたのは本当だ。言いたいことを堪えたという部分は、頭を下げ終わり、客が去ってキッチンに戻ってきたときにセリフと一緒に頭の中から沸いてきた妄想だ。「加藤さん、今の客なんでした」 臼井さんは折りたたみ椅子に座って携帯ゲーム機から顔を上げて尋ねてきた。「漫画の巻が抜けていたのを怒られましたわ。ホンマゴミみたいな客ばっかりですわ」「何の漫画ですか」 少年誌の作品名を上げた。「あ、その漫画俺も読もうと思ったんですけど、やっぱり抜けてますよね。十三巻でしょ。客がパクっていったんでしょうね。ホンマ腹たったんで冷蔵庫殴りましたわ」「よく盗まれますよね」「買うより盗ん...