『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第一回)』著者:へっけ

※前回の『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(序章)』はこちら


「風が嫌いなんだ」

 俺は思う。 

 生まれてこのかた十五年、風を好きになることなんて一度もなかった。

 小学校の入学式の帰りに吹かれた春風、初めて見に行った隅田川の花火大会で吹かれた夏風、三好家菩提寺の境内で焼き芋を食べながら吹かれた秋風、去年のクリスマスで神田鈴に振られた直後に吹かれた冬風。

 俺は風に吹かれる度に愚痴をこぼしてママを困らせる。

 ママは苦虫を噛み潰したような顔でこう答える。

「前にも言ったけど葉(よう)は気にしすぎだって。頭が気になっちゃうから風が嫌なんでしょ? ママはその頭、悪くないと思う」

 適当に受け流そうとしているけれど俺はもう高校生だからそんな子供騙しには乗らない。

「ママは慰めるつもりで言ってるかもしれないけどさ、むしろきついってその言い方。ちゃんと聞いてくれていない感じがして。…何で俺の頭には毛が生えないの? おかしくない? 風が吹くと泣きたくなるんだって。この歳で頭皮に風を感じるなんて…ジジイじゃないんだからさ」

 苦虫を噛み潰したような表情から悲しそうな表情に変わるママ。俺も言い過ぎたかもしれないけれどもう無理だ限界って感じなのだ。

 友達もできなければ神田鈴に振られたのも全部この禿頭のせいだ。

 俺の人生が上手くいかないのは全てこいつのせいだ。

 

 その時リビングに女性の甲高い悲鳴が響く。換気で窓を開けていたからよく響いて耳が痛い。

 普通、女性の悲鳴を聞いたら大の男でも驚いて硬直する。チンギスハンとかナポレオンとかヒトラーみたいな世界の覇権を握った奴でもきっとビビる。でも俺はビビらない。ただ「またかよクソが」って思うだけだ。つい三日前も町田駅近くの裏通りで飲んだくれの中年おやじ二人が血に塗れながら殴り合っているところに遭遇したけれど別に全然怖くはなかった。本当にクソ治安が悪くてこの街なんて大嫌いだとは思ったけれど。俺がここまで気が強くなったのはママと一緒に様々な「戦い」を乗り越えてきたからだ。自慢じゃないが俺は観戦しているばかりで助太刀なんてしたことない。何か物理的なものとは別の形で力になりたいとは思っている。でもダメなのだ。俺にはママみたいな特別な能力を持っていないのだ。

 俺もママみたいになりたい。 さっきママに悩みを聞いてもらったけれど気の利いた答えが返ってこないことなんて気にならなくなるくらいに格好良い! 

 

 三好春子は!

 

 最強のママ!

 

 今日久しぶりに見れる!

 

 ママが空中を舞う姿を!

 

 

   

 女性の悲鳴を聞いた刹那ママの目つきは鋭くなり部屋着のまま突然玄関に向かって走り出す。靴も履かずに外に出て家の門前で仕事帰りのパパと出くわしていたが、二人とも目配せしながら僅かに笑みをこぼしただけで言葉は交わさない。

 俺もアディダスのキャップとスニーカーを身につけてからママを追いかけて全力で走る。

 パパが「二十二時までには戻ってこいよ」とか言っているが無視する。俺はもう高校生だから門限なんて守らない。

 家の門を出てすぐ目の前の公園を抜けようとしたところ何故か全ての外灯が消えていてママの姿が闇に溶けようとしている。

 大丈夫だ。ママを見失ったとしてもその存在感の残滓みたいなものを肌で感じられるから何となくの方向は分かる。

 絶対に見届けてやる。

 俺のママは最強だ。

 誰が相手でも負けない。

 無傷の完全勝利だ。

 少し気になるのは何故か頭皮がムズムズして禿頭を掻きむしりたくなっていること。こんな感覚初めてだ。緊張? なのかよく分からない。なんか不吉で鳥肌まで立ってくる。

 何も起こらなければ良いと、心の中で祈る。

      

     

       

 公園を抜けると一軒屋が軒を連ねる住宅街が広がっている。

 何処の外灯も点いていないので家屋から溢れる明かりが住宅街の路地を薄らと照らしている。

 頭のムズムズも鳥肌も引かない。

 何かすごく嫌な感じだ。

 額から冷や汗まで噴き出してきて腕で汗を拭いながら俺は自分の感情に気づく。

 これはきっと恐怖なのだ。

 何故か空気が凍てつくように冷たく感じる。

 

 

 

 薄闇の路地を慎重に進んでいくと赤い屋根でブロック造りの西洋風家屋が左手にあって目立つ家だなどんな成金が住んでいるんだよと邪推する。

 この住宅街の殆んどは日本家屋なので余計その家は目立つ。

 しかし俺がこの家に注目したのはその派手なデザインのことだけではなくて赤い屋根の上にママの背中が一瞬見えたからだ。

 ママのことを何も知らない人が見たらあんな高いところにどうやって登ったのかと疑問に思うのかもしれない。俺はそんなこと思わない。ママの特別な力と身体能力の高さを知っているから当然だ容易いことだと思う。

「葉! その女の子を見てあげて! 怪我してるみたい」

 屋根の上からママが指差す方へ目を凝らすと確かに誰かが倒れている。

 俺は急いで駆け寄ってその人が無事なのかを確かめる。

 ママの言う通り中学生くらいの小柄な女の子だ。気を失っている。おでこに何かに切られたような傷があるけれど既に血が止まりかけているから大した傷ではない。

「ママ! おでこに切り傷があるだけであとは大丈夫そう!」

 鋭い目つきに瞬間、優しさを表したママは安心したみたいだ。

「鈴ちゃん大丈夫? 痛いところは?」

 女の子の反応は無し。

 呼吸は落ち着いているから多分、大丈夫だ…いやちょっと待てと俺は思う。今、俺はクリスマスに振られた女の子の名前を口にした気がする。気がするというか確かに口にした。それは無意識に自然とこぼれてしまった訳ではなくて女の子の長い黒髪とか中学生みたいな背丈や纏った雰囲気が振られた女の子に似ていたからだ。

 名前は、神田鈴と言う。

 神の田圃にある鈴。

 とても神聖な印象を持つ感じで良い名前だ。

「捕らえたあああああ! 地面に落ちろおおおおお!」

 

 ママの叫びが薄闇の路地に木霊するのと同時に黒い影が勢いよく地面に落ちてきた。神田鈴に似た女の子に夢中になっていた俺は我に帰って黒い影へ視線を移す。

 それは落下した衝撃で傷だらけになった男の姿だった。年は四十歳手前くらいで着流しを身に纏っている。髪は総髪で無精髭面。切れ長の目が俺を睨めつけていると思ったが対象は俺ではなくて女の子だ。こいつ傷だらけになりながらまだ目的を諦めていない。

 

 俺は確信する。

 

 この男、クソ治安の悪い町田をさらに混沌とさせている「穴師」の一人だ。絶対そうだ。

 七人の少女を猟奇的な方法で殺害したサイコパスコンビ。

 流石に相手が悪い。「穴師」は二人とも「異能力」の使い手でそれは殺人に特化した凶悪なものだとネットニュースで読んだことがある。ママも異能力者を二人同時に戦ったことはない。いくらママが戦闘経験豊富だったとしても間違いなく苦戦する。

「大丈夫だよ、葉。地面に這いつくばってる男は捕まえた。その男には三倍の重力がかかってる。身動きなんて取れないよ」

 俺の心配をよそに溌溂と言いながら重力をコントロールするという強力な異能力を男にかけている。ママは屋根の上から空中へ飛ぶがそのまま落下せずにゆっくりと地上へ降りてきた。これもママの異能力だ。

「ママ! こいつ穴師だ! 狂人の目をしてる」

「間違いない。協会からの情報と一致する。穴師は二人組の筈だから近くにもう一人隠れてるかもしれない。油断しないで」

 その時、男は背中に背負っていた二本の日本刀の内一本を這いつくばった状態で鞘から抜く。

 こいつマジで人間じゃなくて化け物だ。ママの重力に捕まって少しでも動ける奴なんてこれまで誰一人いなかった。

 男は「おめぇら死ねやああああああ!」と大音声を上げながら日本刀を俺と女の子に向けて振る。

 ママは飛ぶ、俊足の速さで飛ぶ。俺と女の子の前に着地すると男にかけていた重力を解除して手前の何もない空間に向けて両手を突き出す。

「ガキン!」と鈍い音が響いたと思ったらママの目の前の地面に大きなひびが入っている。  

 総髪の男の能力恐るべしだ。  地面のひびは男が一太刀振ることで生じた斬撃によるものだ。それをママの重力で相殺したのだろうけれどこれはヤバ過ぎる。斬撃を飛ばすなんて危害を加えることしかできないような異能力を持つ奴なんているのか。大体の異能力は一工夫、二工夫を重ねないと危害が加えられないようなものばかりだった。

 生きる時代を百五十年くらい間違えているラストサムライを早急に墓石の下に送らなければならない。俺にそんな力がないことくらい理解しているけれど町田の女の子達がこれ以上犠牲にならないようにするには致し方ないこともある。しかしもう少し冷静になって考えてみる。現代日本では正当防衛とは言え相手を殺してしまったら過剰防衛の疑いで捕まってしまうかもしれないから例え相手が改心の余地がなさそうな殺人鬼でも殺してはいけない。でもと思う。俺とかママが牢で冷や飯を数年食うだけでこれ以上、女の子が殺されなくなるのなら別に良いのかもしれない。女の子が殺されたらそのお父さんとお母さんとお兄ちゃんと妹が悲しむしおじいちゃんとおばあちゃんがまだ健在ならその二人は自分の命と引き換えに孫娘を生き返らせてくれと人身御供を実行するかもしれない。人身御供というのは要するに自殺のことだ。そんな悲劇は起こしてはならない。だから俺は決心をする。

「ママ! こいつ今ここで殺そう! 殺すしかないんだよ!」

「殺すとかそんな言葉使わない! そんなことより…」

 俺もママも瞠目する。

 重力から解放されたラストサムライの下半身が消えているのだ。少しずつ上半身も消えていってる。奴「も」異能力を二つ持っていて姿を消すことができるのか? と思ったが地面の変化に気付いたときに何が起きているのかを理解した。

 ラストサムライは姿が消えていっているのではなく下半身から地面に埋まっていっているのだった。ラストサムライの周囲だけ地面の硬いコンクリートがサラサラの砂に変化している。 息が切れて刀の一振りも繰り出せなそうなラストサムライに別の異能力を使う余裕なんてない。近くにもう一人の穴師がいてそいつの能力でラストサムライを逃がそうとしているのだ。

「逃げる気だ!」

「あんたは女の子の側に居れば良いの」

 ママもラストサムライと同様に息が切れていて苦悶の表情を浮かべている。能力を使い過ぎて体力の限界にきているのだ。

「今回は引き分け。残念だけど疲れちゃった」

 ママは地面に座り込んでただじっとラストサムライが逃げるのを見届けるしかない。

 これまで様々な異能力を持つ犯罪者達と遭遇してはママは能力を駆使して捕まえてきた。

 窃盗、動物虐待、性犯罪、傷害、殺人犯、折角発現した異能力を犯罪に利用する凶悪犯達。 計五十人以上は捕まえてきたとママは言っていたけれど俺が実際に見たことのあるのはその内十五人くらいで全部余裕の勝利。ママが苦戦することなんて一回もなかった。

 そんな最強のヒーローのママが今回は初めて凶悪犯に目の前で逃げられる。

 犯罪の全てを憎んでいる程、正義感の強いママからしたら胸が詰まるほど辛いこと。どんなことよりも屈辱的なことなのだ。

「でも女の子は助けられたんだから引き分けじゃない。勝ったんだよ。穴師は何もできなかった。ママは絶対に負けてない!   だって最強なんだから!」

 本当にそう思ったから、思いたかったから言ったがママは浮かない表情だ。

 完璧勝利じゃないと納得しないママは俺のヒーローだ。

 マザコンと言われるかもしれないけれどちょっとウザい時もあるけれど世界で一番強いママ。

 今日のママも痺れるくらい格好良かったよ。

 ラストサムライの姿が地面の下に消える。ママは緊張が解けたのか仰向けになって倒れる。思い切り溜息をついてから「チクショー!」とか言っている。

 神田鈴に似た女の子はというと気絶してから随分経っているのにまだ目が覚めないみたいだ。俺はもう一度、女の子のおでこの傷を確認するためにその長い前髪を上げるが傷よりも先に顔を確認する。

 心臓がドキンと不正脈を打つ。

 神田鈴だ。

 俺の禿頭を一瞥してから振った女の子。

 同性の田中平一や島次郎に禿頭を馬鹿にされるのはまだなんとか我慢できる。でも好きな女の子にまで軽蔑されたらさすがに傷つく。あの振られた日は家に帰ってから堰を切ったように泣いた。もう二度と人を好きになんてなりたくない恋愛なんてしたくないって思った。でも目の前の鈴ちゃんはめちゃくちゃ可愛くてまだ好きという気持ちが残っていてあきらめきれていない自分に気づいて、もう一度ドキンと不整脈を打って痛い。心臓ではなくて心の中にある胸が痛い。

「うーん…あれ? 三好君?」

 鈴ちゃんの目が覚める。

 沈着冷静に。

 小さな声で緩慢に言う。

「神田さん起きた? どこか痛いところはない?」

「おでこ? ていうか脳が痛い。気持ち悪いんだけど」

 言いながらえずいて一口分だけ嘔吐する鈴ちゃん。

「ちょっ! ママ! 救急車呼ぶわ! 鈴ちゃんが死んじゃう」

「三好君いいから! 大袈裟にしないで? 吐いてスッキリしたから大丈夫」

「本当に?」

「大丈夫だって! それよりなんで三好君がこんなところに居るの?」

「俺の家が近くにあって母親と話してたら悲鳴が聞こえてきたから来た。変な男がいたけどすぐにいなくなっちゃったよ」

「そうだったんだ。あんまり記憶がないんだけどすごい怖かった気がする。なんか私、殺されちゃうんじゃないかと思った。」

「もう大丈夫。うちの母親もいるから一緒に駅まで送るよ」

「あそこにいる人、三好君のお母さんなの?」

 さっきまで地面に横になっていたママはいつの間にか起き上がっているけれど疲労を隠せない暗い表情。肩で息をしていて俺は心配になる。これだけ異能力を使ってどれだけの反動が来るのだろう。

「綺麗な人だね。なんか有名人で似てる人いるよね? 確か半分、青いに出てた女優なんだけど…あれ名前が出てこない…ほらあの人! 須藤理彩だ! 三好君のお母さん須藤理彩に似てるんだ!」

 須藤理彩って人は知らないけれどママのことを褒められて俺は超嬉しい。綺麗で強いなんて俺のママはやっぱり最強なんだ。

 鈴ちゃんと他愛もない会話をしながら身体を休める。コンクリートに座り込んでズボンが汚れることなんて気にしない。今日もしかしたら死んでいたのかもしれないのだから鈴ちゃんも俺も汚れることなんて大したことないのだ。

 鈴ちゃんがまた嘔吐して倒れて怪我をしたら大変なのでママと一緒に町田駅まで送ることにする。

 

 

 

 小田急線町田駅の改札前に着くと鈴ちゃんは涙を浮かべながら言う。

「三好君と三好君のお母さん、ご心配おかけして申し訳ありませんでした。しかも駅まで送ってもらっちゃって…本当に助かりました! ありがとうございました!」

 俺はそれを聞いて安心する。

 涙を浮かべていても緊張から解き放たれた鈴ちゃんの表情は明るい。学校で見るいつもの感じだ。

 ママと一緒に手を振って改札前でお別れをする。学校でまた会えるんだろうけれどどんな表情で話せば良いのだろう。振った男のことなんて眼中にないかもしれないが俺にはまだ未練がある。これが恋愛なのか失恋なのか大人はみんなこんなに辛い経験を乗り越えているのかと思うとそれだけでママとパパと小田急線に乗り込む大人達を尊敬って感じだ。

 

 

 

 俺とママは小田急線には乗らずに踏切を越えて歩いて家まで帰る。五分も歩くと人通りは少なくり静かな暗闇の路地裏が建物と建物の間をはしる。

 俺はママに言う。

「穴師の標的になって助かった女の子はいない。一度、逃げることが出来たとしても数日後にはまた穴師は必ず現れる。ニュースではそう説明してたけど本当なの?」

「東京都異能力士協議会からも全く同じ情報が発信されている。残念だけど間違いない情報だと思う。今日戦って分かった。穴師は普通じゃない。ママが全力で戦って勝てないなんて初めてだよ。あのサムライ目がヤバかったしね。鈴ちゃんを殺すことしか考えてなかった。…でも大丈夫! 今度は絶対に勝つ! ママは最強なんだから!」

 夜空に浮かぶ半月に向かって拳を上げるママ。

 ありがとう優しいママと思う。

 だけど俺はママに対して心強く思うより不安の方が勝る。

 異能力を持たない俺が見ても穴師はとんでもない化け物であることは分かった。

 斬撃を飛ばす異能力。

 人殺しのみを目的とした凶悪な異能力。

 ママが空を飛んだってもうひとつの異能力を使ったって本当に勝つことができるのだろうか?

 怖いのだ。

 ママが傷つくのが。

 ママが最強じゃなくなるのが。

 戦いが終わっても嫌な予感は収まらない。

 何故かまた頭がムズムズしてきて掻きむしりたくなってくる。

 なんだろう全身がのぼせたみたいに熱い。特に頭皮が熱い。

 早く家に帰ってシャワーを浴びてママと一緒に眠りたい。

 いつまでも平和な夢の中で安心していたい。

 (続)

※『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第二回)』はこちら

彩ふ文芸部

大阪、京都、東京、横浜など全国各地で行われている「彩ふ読書会」の参加者有志による文芸サイト。

0コメント

  • 1000 / 1000