「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!」とはよく言ったものである。
稀有な体験をすると、誰かに伝えたくなるのはなぜだろう。
そこには幸不幸を問わず、存分に「自慢」という要素が入ってくることもある。宝くじが当たったとか、逆にこんな辛い目に会ったとか。昔はオレも悪かったみたいなワル自慢もあるし、笑えるようなことだったらいわゆるすべらない話にもなるだろう(それには話者の技術が必要ではあるが)。
ここにこうして文章を書こうと思ったのも、先日わたしがある稀有な体験をしたからだが、別にあえて公にするようなことでもないのは確かである。わたしの心の中にひっそりとしまい込んでおけばいいだけだ。
しかしその体験をしたあと、わたしはどうにかして誰かに伝えたいと思った。Twitterで呟こうかとも思ったが、内容がいささかグロテスクではあるので、ここに記すことにした。その点だけ注意していただきたい。
そしてこの話には教訓もなにもない。
以前わたしはこのサイトに『マリィ』という小説を書いた。
道路の真ん中で車に轢かれた犬の死体を見つけた男がその死体を拾い上げ、どこかに埋めてあげようとするなかで、徐々に男と犬の死体との感覚が混じり合っていく、というような内容の小説だった。
そしてわたしの稀有な体験とは、その小説の始まりの場面と似ていた。ただ違っている部分もあって、小説では「すでに事切れた犬」であったものが、現実では「死に際の猫」であったということだ。
動物が好きな人や、そういった痛ましい場面が苦手な人にとっては「なぜ」と思うことかもしれないが、わたしはその「死に際の猫」を見たとき、ふいにその姿を描写したいと思ったのだった。文章にして誰かに伝えたいと。その誰かにとっては迷惑な話かもしれないが、それが今こうして文章を書いている原動力となっているわけだ。そしてある種の「不幸自慢」のような側面があるのも認めざるを得ない。
ここからは「死に際の猫」について描写していこうと思う。
夕方18時を過ぎたころだっただろうか、もうすでに日は沈み、辺りは薄暗くなっていた。わたしは自宅へと向かう道を歩いていた。そこは住宅地を通る道路で、車通りも多い。何メートルか先の道路の真ん中に薄っすらと見える黒い影があった。わたしは最初、その影をカラスだと思った、カラスの死体だと。しかしその影はふいに動いた。通り過ぎる車のヘッドライトがその影を照らした。その影の正体は猫だと分かった。わたしは道路の端に立ってその猫をじっと見ていた。黒猫のように思えたが、薄暗かったので正確な毛色は分からない。猫は体を横たえ、道路の真ん中を、ちょうど車線の上を行ったり来たりするような形で転がっていた。そして時折まるで陸に上げられた魚のように、全身をビクンビクンとさせながら跳ね回った。その動きは、わたしの頭の中にある「猫」とは微塵も一致しなかった。内部のパーツが外れた機械仕掛けの人形のようで、もはや猫とは思えなかった。通り過ぎる車のヘッドライトが再び猫を照らした。猫は目を見開き、口からは血を流しているのが見えた。よく見ると道路にも黒い滲みがあった。わたしはその不気味に転がり跳ね回る猫を見るのが怖くなった。少しの間猫から視線をずらし、歩を進めた。ふと振り返ると、猫は動かなくなっていた。
わたしはそのまま自宅へと帰った。あとで調べて分かったことだが、道路で犬や猫の死体を見つけた時は、各自治体に連絡すると処理してくれるのだそうだ。翌朝その場所を通った時には猫の死体はなかった。
とまあこんな感じである。読んで不快になった人もいるかもしれないし、特になんとも思わなかった人もいるだろう。
結局のところ、「死に際の猫」を目撃し、自分が過去に書いた小説になんとなく似てるな、と思い、文章を書く動機に利用した。それだけの話だ。
猫の成仏を願う。
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