◆Part1
愛と美しいと書いて愛美。
その名の通り、彼女はいつも可愛くて美しい。こんな僕と付き合ってくれたなんて今でも信じられない。僕らは確かに付き合っている。愛美ちゃんから告白されたのが半年前。それからの半年間、夢のような日々が続いている。
愛美ちゃんは本当に可愛い。何をしても可愛いのだけれど、それを直接言うのは恥ずかしい。いつも言おう言おうと思っている内に話題が次々と変わってしまうので、僕はいつも可愛いと言うタイミングを失ってしまう。
愛美ちゃんはおしゃべりな子だった。話題もころころと変わって、その度に表情もころころと変わる。楽しく笑っている時も、怒っている時も、常に可愛い。少し意地悪な事を言われることもあるけれど、僕はいつも許してしまう。可愛いからだ。たまに頭の中が「可愛いな」の一言をずっと繰り返してしまって、全く話を聞けてない時もある。
一度愛美ちゃんの友達と三人で映画を観に行かないかと誘われた事がある。愛美ちゃんがホラー映画好きだと、その時に初めて知った。愛美ちゃんは怖いものが大好きで、怖いシーンがあるとつい声を出してしまうのだそうだ。それがストレス発散にもなるらしい。愛美ちゃんの友達はそこまでホラーが好きではないみたいだけれど、俳優さんの演技に注目して観る人で映画は好きらしい。高校時代から演劇をやっていたらしく、映画や舞台のお誘いならば大体付き合ってくれるのだそうだ。
愛美ちゃんのお誘いにはほとんど乗っているけれど、この映画のお誘いにだけは乗れなかった。愛美ちゃんの怖がる姿はとてつもなく興味があるし、愛美ちゃんの友達にも会ってみたい。けれど、昔からどうしてもホラー映画はダメなのだ。強制的に見せられた暁には脱兎の如く逃げ出す自信がある。断った時、彼女はすごく驚いた表情を浮かべていた。けれどすぐに理解してくれた。僕が断るという事はよっぽどの事なんだろうと察してくれたのだ。ちなみに驚いた顔も可愛いかった。
小学生の頃、僕は幽霊とおぼしきものを見た事がある。
学校のグラウンドの真ん中にそれは佇んでいた。後ろ姿だったので顔は分からなかったけど、体つきから大人の男だと僕は思った。夕方の事だった。どうしてそんな所に一人で立っていたのか分からない。幽霊だったのかもしれないし、先生が何かしていただけなのかもしれなかった。遠くてよく見えなかったけれど、それでも一目見た時から僕の体は冷えだして、やばいやばいと警告していた。誰かと一緒だったらまた違っていたのかもしれないけれど、あいにくと一人だった。その何かがゆっくりと顔を動かした。こちらを向こうとしているのだと直感で分かった。絶対に目を合わせてはいけない気がした。僕は全速力で逃げた。家に帰った後も怖くて震えていた。
それ以来、僕は怖いものが苦手になった。昼間であってもグラウンドに出る時は少し怖かった。誰かと一緒にいれば怖さを感じる事はないけれど、一人でいる時はちょっとした物音でも体がビクついてしまっていた。家にいる時もそうだ。歯を磨いている時は鏡を見れないし、シャンプーハットがなければ髪も洗えないし、寝る時も電気は消せない。何気ない時にあれを思い出して怖くなる事があるのだ。後ろにいるような気がして振り向けなくなることもある。大学生になった今では大分怖さは薄れたものの、怖いものが苦手なのは変わらない。シャンプーハットは今でも愛用品だ。
僕は愛美ちゃんの好きなものを好きになりたいと思っていた。あまり気が進まなかったけれど、愛美ちゃんがオススメしていた映画をレンタルショップで借りて観た事もある。5分でやめた。雰囲気がもうダメだった。その事を伝えると「無理しなくていいのに」と笑ってくれた。愛美ちゃんは寛容だ。
無理しなくてもいいと言っておきながら、愛美ちゃんはめげずに僕をホラー映画に誘った。実家から大学に通っている僕とは違って愛美ちゃんは一人暮らしだ。愛美ちゃんの家でデートすることもあるのだけれど、唐突にホラー映画を再生してくることもあった。僕が困っていると「冗談冗談」と言って愛美ちゃんはケラケラと明るく笑う。からかわれてるのだと気づいて一瞬ムッとはするものの、その笑顔がやっぱり可愛いくて、僕はいつも許してしまうのだった。
そんな僕と愛美ちゃんは今、学校の裏門の前にいる。僕が通っていた小学校だ。発端は彼女の思い付きだった。
「ねえ、優人。夜の学校でデートしてみない?」
「学校で?」
「うん。優人が通ってた学校がどんな所か見てみたいの」
いいね、と即座に返答しようとして思いとどまる。小学生の頃グラウンドで見たあれを思い出したからだ。愛美ちゃんにもその話はした事がある。ホラー好きな彼女はその時目をキラキラさせて聞いていた。
「もしかして、グラウンドのあれを見に行こうってこと?」
「あ、バレた?」
「デートってか、それ肝試しじゃん」
彼女がからかっているのが分かって、僕はいつものように少しムッとした。そこで大体いつもは違う話題になるのだけれど、彼女は新たな提案をしてきた。
「じゃあさ、制服デートってのはどう?」
「制服?」
「そう。制服を着て、学校をブラブラするの。まあ小学校だけどね。私の制服見てみたくない?」
「それは……見たい」
僕は制服デートに憧れていた。高校生までの僕は恋愛とは程遠い所にいて、誰とも付き合った事がなかった。大学生になってから身なりを気にするようになって、ようやく出来た彼女が愛美ちゃんだった。だから愛美ちゃんの制服を見た事はなかったし、制服デート自体にも憧れがあった。僕は怖さよりも愛美ちゃんの制服姿が見れることへの楽しみが上回ってしまって、つい快い返事を返してしまったのだった。
「じゃあ決まりね。いつにする?」
「いつでも良いけど……制服って、高校のやつ?」
「でもいいよ」
「でも行くのは僕の通ってた小学校なんだよね?」
「じゃあランドセル背負ってく?」
そんな風にやりとりをしながらとんとん拍子に話はまとまった。家に帰ってから僕はすぐに制服を用意した。二年前までは毎日着ていた制服。当時は気づかなかったけれど大分くたびれていた。クリーニングに出そうかと考えたものの、親にバレるわけにもいかないのでそのままにすることにした。
約束していた当日、僕も愛美ちゃんも高校時代の制服姿で無事に会う事が出来た。愛美ちゃんのあまりの可愛さに僕は咄嗟に言葉が出なかった。高校時代に出会っていたら間違いなく僕と愛美ちゃんは付き合わなかっただろう。こんな僕と付き合ってくれたなんて今でも信じられない。でも、僕らは確かに今付き合っている。
反応が一瞬遅れてしまったからか、愛美ちゃんが不安げな表情を浮かべた。どう?と聞かれる。僕は恥ずかしくていつも口に出来なかった言葉を捧げた。こんな時だけ言うのね、と彼女は言った。照れているのが分かって僕はこれもまた可愛いなと思った。
門を越えて学校の中へと入る。高校の制服を着て、深夜の小学校に忍び込むというなかなかない経験に、僕はかなりドキドキしていた。逆じゃなくて良かったと余計なことを考える。ランドセルを背負って高校に忍び込んだらどう考えたって弁解の余地はない。
不法侵入した後になって色々とヒヤッとする。全く考えていなかったけれど、ここは僕が通っていた小学校だ。家から近いとはいえ下手すれば友達と遭遇してしまう可能性があった。深夜だから補導される可能性もあった。もし見つかったらどう言い訳しようかなんて全く考えていなかった。宿直の先生がいるんじゃないだろうかとか、裏門から忍び込んだけど監視カメラに映ってしまったんじゃないかとか、色んな不安材料を思い付いた。夜の小学校に忍び込んでようやく、神経が過敏になってきたのかもしれない。
忍び込んでしばらく歩くとグラウンドが見えてきた。いるわけがないと思いながらも、小学生の時に見たあれがまた立っているのではないかと不安になった。おそるおそるグラウンドに目をやる。
……いない。
「いないね」
真横から声がして心臓が出そうになった。冷静に考えれば愛美ちゃんでしかありえないのだけれど意識がグラウンドに集中してしまっていたのだ。あまりにも抜群なタイミングだったので、僕は心の中を読まれたような気がした。愛美ちゃんを見ると彼女はいつものからかうような表情で僕を見ていた。くそう、やられた!なんて思いつつ、僕は平静を装って「そうだね」と返した。
あの時とは状況が違う。やっぱりいるわけがないんだ、と変にホッとした。あの時のもきっと先生だったんだろうと、何の結び付きもないけれど思ったりした。それでも若干の怖さがあった僕はグラウンドの真ん中を突っ切ることは出来ず、外周を回って校舎へ向かった。愛美ちゃんは真ん中を歩いていったので少し遅れる形で僕は到着した。
校舎には鍵がかかっていて中に入る事は出来なかった。まあ当然か、なんて思いながら外から教室の中を覗く。暗くて分かりにくいけれど、その教室はものすごく小さく見えた。
「こんな小さかったんだね」
「不思議な感じがする」
「だね」
校舎の中には入れなかったけど、僕らはプールや体育館など外からも見れる場所を見て楽しんだ。そのどれもが記憶の中の光景とは一回りも二回りも小さく思えた。
「懐かしいなあ」
「私も。ここに通ってたわけじゃないのに、何だか懐かしい感じがする」
「愛美ちゃん、ありがとね」
さらっとそんな言葉が出てきた。こんな体験が出来たのは愛美ちゃんが誘ってくれたからで、一人では絶対に体験することがなかった。そう思うとついいつもの恥ずかしさも忘れてすらりと言葉が出てきたのだった。愛美ちゃんは一瞬驚いた表情を浮かべたものの、満足げに微笑んだ。
それからもゆっくりと歩きながら色んな話をした。愛美ちゃんも少し緊張していたのか、いつものようにおしゃべりではなかった。おかげでといってはなんだけど、僕は僕のペースでゆっくり話す事が出来た。小学生時代の思い出や中学高校の思い出、家族や友達の話など、いつもよりもより濃い時間を過ごす事が出来たと思う。
「……帰ろっか」
「うん」
何となくそんな雰囲気になって、僕と愛美ちゃんは裏門へと向かって歩き始めた。
歩きながら僕が考えていたのは「愛美ちゃんとキスしたい」という事だった。半年付き合っているものの、僕らはキスどころか手を繋いだこともなかった。何か物を渡す時にふと手が当たる事はある。それだけでドキドキとしてしまうのが僕だった。何度か愛美ちゃんの家に泊まらせてもらったけれど、その時も何もなかった。いや、何も出来なかった。情けない話だけれど、僕は手を繋いだりキスをするタイミングが分からなかった。何となく今かな、というタイミングが訪れた事は何度もある。けれどそんな雰囲気になると途端に僕はどぎまぎしてしまって、何も出来なかった。結局進展のないまま半年間が過ぎてしまっていたのだった。
夜の校舎で制服デート。
互いに昔の思い出を語って、すごく良い雰囲気だ。正直にいうと僕はここに来る前からそのことで頭がいっぱいだった。手を繋いで、キスをして、それから……。
頭の中がやましい事でいっぱいだった僕への罰なのかもしれない。
僕は無意識にグラウンドを突っ切ろうとしていた。
ハッとして意識を戻す。寒気がしたからだ。
見てはいけない。
絶対に。
僕の中で警告音が鳴り続ける。
けれども僕の視線は何かに導かれるように一点に向かった。
……いた。
グラウンドの真ん中にそれはいた。ゆっくりと顔を動かした。こちらを振り向こうとしているのだと直感で分かった。絶対に目を合わせてはいけない気がした。
僕は全速力で逃げた。遅れて声が出る。僕は叫んでいた。今になって気づいた。あれが何だったのかを。大きな男の人だと思っていた。違う。先生だと思っていた。それも違う。訳が分からないけれど、あそこに佇んでいたのは紛れもなく……。
僕だった。
◆Part2
優しい人と書いて優人。
その名前の通り、彼はいつも優しかった。出会った時からずっと。恥ずかしがりやで、怖がりで、だけど優しくて。不慣れなくせに不慣れだとは決して言わなくて、けれど一つ一つが丁寧で。
何もかもが嫌になっていた頃、私は優人と出会った。優人はその優しさで私を包んでくれた。優人は私を疑わない。疑うということを知らない。けれど、私は私自身を優人よりもよく知っている。私はいつも嘘をついている。疑われたらすぐに気づかれるような嘘もついている。気づいてほしくて、ついている。
優人と一緒にいる時の私は私じゃない。私はずっと私じゃない誰かを演じている。優人は決して口にはしないけれど、密かに求めている彼女像がある。私はその理想の彼女を演じている。だけど、私の本質はやはり違う所にあるらしい。ずっと苦しさがつきまとっている。その苦しさにも、優人は気づかない。
優人に告白して付き合いだしてから半年。私はこれからも交際を続けるかどうか悩んでいた。嫌いなわけではないけれど、この人がいないと生きていけないってくらい好きなわけでもない。つまらない男だと感じてしまっているのが正直な所。物足りないと言い換えても良い。優しいのは良いけれど、それ以上でもそれ以下でもないのが優人。
一時の私は彼の優しさを確かに求めていた。けれど、あくまでも一時的なものだったのではないかと今では思う。優しさを求めていながら、その正反対の事も求めている私がいる。優人に優しさ以外を求めるのは、ないものねだりなのだと分かってもいる。
彼は恥ずかしがりやで、普段は可愛いとか綺愛だとか絶対に褒めるような言葉を口にしない。臆病者で私を求めようともしない。手を繋ぎもしないしキスもしない。たまにそんな雰囲気を作ってみても彼は鈍感で気づかない。何も進展しないまま半年が過ぎた。私はいつまでも待てるような性格ではなかった。
私は麻由美に相談した。高校から演劇をやっていて、一緒によく映画を観に行く友達だ。優人の事は前々から相談していて、その度に「半年間も愛美に何もしないのはいくらなんでもおかしい」と言ってくれていた。優人の普段とは違う姿を知るにはどうしたら良いのか。マンネリ化している今をどうしたら良いか。そんな話をしていると、麻由美はドッキリを仕掛けてみてはどうかと提案してきた。
優人が小学生時代に見た幽霊を再現する。
それが私と麻由美で話し合っている内に思いついたドッキリだった。優人をどうやって小学校まで連れていくか、どうやって驚かそうか、二人で話し合っているうちにかなり盛り上がった。ほとんど悪ノリだけれど、私も麻由美もこういう事が大好きだった。我ながら意地悪な事ばかり思いつく奴だなと思う。こんなドッキリを仕掛けたら優人はさすがに怒るんじゃないだろうか。少し申し訳ない気持ちもあるけれど、怒る姿を見てみたい気持ちの方が強かった。彼の優しさの限界を知りたい。私は彼を何度も試しては落胆している。勝手に期待しては裏切られた気持ちになって、その度に優人と私は合わないのかな、と思ってしまう。
グラウンドの幽霊が現れた時、優人はどうするのだろう。「男らしく守ってくれるんじゃない?」と麻由美は言っていたけれど、果たして本当にそうなるだろうか。
グラウンドの幽霊は麻由美が再現してくれる事になった。
麻由美は優人の顔写真を見ながらものまねメイクをした。幽霊が自分の顔をしていたら怖いだろうと、これも話し合いの中で決まった事だ。出来は良かった。昼間ならさすがにバレてしまうだろうけれど、夜ならば優人本人にしか見えない。背丈も近い。優人の服は私の家にいくつか置いてあるものの中から使う事にした。当日は私から麻由美にLINEでメッセージを送り、それを合図にして麻由美がグラウンドの真ん中で佇む手はずになった。
当日。
優人は幽霊を見て予想通りに驚いてくれた。予想通りだったという事は期待外れだったという事だ。優人は私を置いて一目散に逃げ去った。もしかしたら守ってくれるんじゃないかって少しでも期待してしまっていた私が馬鹿だった。けれど、これでもう別れる口実が出来たともいえる。もう彼と交際を続けることはない。彼は私のテストに落ちてしまったのだ。半年間のもやもやが一瞬で消し飛んだ思いだった。
暗闇だからか、それとも演劇部のなせる業なのか。ただ佇んでいるだけなのに少し怖さを感じた。麻由美だと分かっているはずなのに何故か寒気がする。麻由美は優人が逃げ出した事に気づいていないようで、こちらを向いてはいるものの顔は俯いたままだった。私は麻由美に近づいていった。優人逃げちゃったね、なんて言葉をかけるつもりだった。
彼を試してばかりいた私への罰なのかもしれない。
その時、スマホが鳴った。
「ごめん!寝てた!」
麻由美からのLINEだった。
スマホから顔を戻した時、それは目の前に、いた。
世界が暗転した。
(了)
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