『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(最終回)』著者:へっけ

※前回の『ダストバニー・イン・マイ・ヘッド(第三回)』はこちら


 今日の町田市は昨日の町田市とは全然違っている。それは街並みに変化があったり住んでいる人間が全て死んでしまったりした訳ではなくて視覚や肌で感じる空気感、雰囲気が違うという意味でだ。

 これまでにない緊張で手足が痺れてきて息も苦しくて過換気症候群を起こしたみたいだ。片膝を床に着いて倒れそうになるが、戦う前に倒れる訳にはいかない。

 俺は脳内でナンバガの向井秀徳がシャウトしている映像を繰り返し思い浮かべて気を紛らわせる。少しだけだけれど呼吸が楽になってきた。ありがとう向井秀徳。

 自分の部屋で着替えを済ませた俺はママに声をかけようとリビングへ移るが人のいる気配がしない。

 嫌な予感がする。

 もしかしたら既に「始まっている」のかもしれない。

 俺もすぐにママを追いかけようと玄関に向かう。しかし誰もいないはずの自分の部屋から物音が聞こえてきたから何の音なのか確認しに部屋へ戻る。

 部屋の扉を開けると窓際に置いていたリカオンの剥製が生きているように毛を逆立てさせている。剥製の分際で俺を驚かせるなんて図々しい野犬だと心中で罵っているとそれを見抜かれたのか目に光を取り戻したリカオンが俺目掛けて走り出して来る。そんなのありかよ怖すぎだろ生き返る剥製を持っているパパは一体何者なんだよと様々な思いを逡巡させながら向かって来たリカオンを避けて「ミロ、落ち着け」と反射的に言う。

 ミロ? この野犬に俺が名前をつけたのか?

 ミロは俺について来いとでも言っているかのように部屋の前の廊下で立ち止まり「キュン、キュン」と甲高い機械的な鳴き声を上げる。

「ママと鈴ちゃんのところまで連れていってくれ」

 その瞬間ミロはまた俺に向かって走り出して来るからギリギリで避ける。その勢いのまま俺の部屋に入っていき庭に面している窓に思い切り体当たりしてガラスが割れてしまう。

 ミロは庭に出て俺を見つめている。

「ちょっと待て」

 玄関で新しく買ったアディダスのスニーカーを履いてキャップもかぶってからミロのもとへ戻る。

「キュン、キュン」

「いよいよ決戦だ、ミロ」

 俊足で走り出すミロを見失わないように俺も全力で走り出す。

 

 

 

 人通りの少ない歩道を走るミロは首を左右に振って鼻をピクピクと動かしながら穴師を探している。ミロの嗅覚は犬並みかそれ以上。少女達の血を浴びた穴師の臭いを嗅ぎ分けることなんて訳ないのだ。

 俺も息を切らせながら「ミロ、奴等が近いのか」と聞いてみるが動物それも剥製の筈のミロに人間の言葉を解せることはできない。だけれどミロは俺の言葉に反応して「キュン」と鳴きながらまるで首肯でもするように首を縦に振る。

 パパ、ミロはとても力になってくれていて心強いよ。

 一緒に走り続けていると目の前に大きな十字路が迫ってきてミロは迷わず左へ曲がり路地の入り込んだ住宅街へと進む。

 家と家の間をはしる細い路地をいくつも通り過ぎていくと川沿いをフェンスに囲まれた恩田川の支流に突き当たる。ミロがフェンスの目の前で止まり「キュン、キュン」と鳴いている。ミロの近くまでよってフェンス越しに川を覗いてみると「葉、下がって!」と叫び声が周囲に響く。

 反射的に頭を伏せたのと同時に目の前のフェンスが真っ二つに切断されてその残骸が川辺へ落ちていく。

 俺は匍匐前進の姿勢でもう一度、川の様子を覗いてみる。ママとラストサムライが川の流れの中心で睨み合っている。

 ママは異能力を発動させて空中で浮きながら「鈴ちゃんを何処にやった」と鬼の形相で怒っている。こんなに怖いママは初めてだ。

「頭のめでたい年増女だな。そんな女児ならとっくにバラして今頃、三途の川を渡っているところだ」

「……許せない」

「あーうるせ。マジで……もう死ぬか?」

 ラストサムライは日本刀を正眼に構えてほんの僅か剣先が振動したかと思うとママは何かを避けるように空中を舞う。しかし避けきれていなかったようで左手から血が流れている。目を凝らしてみるとママの左手の人差し指と中指が第二関節から切断されていた。

「避けやがったのか。女児よりも上等な獲物だ」

 構えを正してまた斬撃を飛ばそうとするラストサムライだけれどママが避けてばかりでいる訳がない。

 傷口の止血は後回しにママは服の袖から小さな木箱を出してラストサムライに向かって投げる。その木箱はラストサムライの頭上で割れて中に入っていた小さな棒状の金属が空中にバラける。その金属はそのまま地面に落ちずに浮遊している。よく見てみると金属は先端を鋭利に尖らせた釘だ。ママが何か決意したかのように目を見開くと浮遊していた無数の釘が全てラストサムライに向かって飛ぶ。

「舐めるな!」

 奴が叫ぶと強風が起きて俺の大事なアディダスのキャップが飛ばされる。俺は追いかけながら手を伸ばして取ろうとするけれど強風が中々止まないからキャップはどんどん遠くへ飛んでいってしまう。これは無理かもと思う。

 キャップの回収を諦めた俺はママが飛ばした釘に刺されて虫の息になっている筈のラストサムライへ視線を移す。

「嘘だろ…」

 と思わず絶望的な言葉が漏れるのは釘が一本もラストサムライに刺さることなく全て真っ二つに割れて地面に落ちているからだ。マジでこいつ化け物だ。斬撃一振りで全ての釘を切ることなんてできないから、視認できないほどの速さで何度も刀を振って斬撃を飛ばしたんだ。さすがのラストサムライも肩で息をしているが、それはママも同じだ。

 ママは自身の重力を操る異能力によって空を飛んでいる。そしてその異能力を派生させたサイコキネシスによって釘を飛ばしたのだ。

 二つの異能力を同時に使うということはそれだけエネルギーを大量に消費して心身への負担がかかる。それでもママが最初からこんな無茶な戦いをしているのは異能力の出し惜しみをしている余裕なんてない相手であることと何より鈴ちゃんがまだ生きている可能性があるからだ。長期戦は避けて短期決戦で穴師を倒して鈴ちゃんを救う。

 でも俺はラストサムライの剣技を見てそんなに上手くいくものなのかと不安になる。ママは既に手負いだしラストサムライをなんとか倒すことができたとしてもきっとその時はママも満身創痍になっている。地面男と戦う余裕なんてあるのか。

 そんな俺の心配をよそにママは全然諦めていなかった。

 ママは着ていた服の袖を破り取ってそれを左手にきつく巻いて傷口の止血をする。息が整い始めたラストサムライとママ。ラストサムライを睨めつけるママの口角は上がり笑っているように見える。一瞬の判断が即死に繋がる緊迫した状況を楽しんでいる。これまで戦ってきた異能力者はあまりに弱すぎたから、やっと実力の拮抗した相手に出会えたことが嬉しいのだ。

 ママとラストサムライの睨み合いは中々終わらない。

 一分? 五分? 十分くらいいは経ったのだろうか。

 次の一手で勝負を決める気なのか二人とも深い呼吸を繰り返しながら集中力を極限まで高めている。

 さらに時間が経ってミロの大きな耳が僅かに動いたのと同時にママは姿を消す。

 周囲を見回してみる。

 全然見当たらない。

 でもラストサムライはママを見失ってはいなくて視線のみを上空に向けている。

 俺も上空を見上げてみると高度に上昇したことで夜空の星くらい小さくなったママが両手をかかげている。

 あたりの草花が風に煽られたように激しく揺れたかと思うと川沿いの遊歩道に植えられていた樹木や外灯が根こそぎ抜けていって空中を浮遊する。その数計十三本で完全にラストサムライはそれらに囲まれる。

 遥か上空のママが、かがげていた両手を振り下ろすと浮遊していた十三本の樹木と外灯がラストサムライに向かって飛んでいく。

 絶対に避けることも全てを斬撃で切り落とすことも不可能。  しかし奴も簡単には諦めない。

 即座に刀を抜いて円を描くように大振りで斬撃を飛ばして樹木が四本、外灯が三本の計七本が真っ二つに切断されて地面に落ちる。でもまだ六本も残っているから大丈夫だ。

 ラストサムライはもう一太刀を振ろうと構えを正そうとするが、その前に六本の樹木と外灯が奴の肉体に到達する。

「オォーン」

 

 何の音だ。

 

 人間の声?

 

 謎の音が聞こえたのと同時にラストサムライの周囲から灰黄色の砂がマグマのように噴き上がり川が砂で埋まっていく。

「秀(しゅう)は、やらせねえ」

 言いながら砂の中から頭だけ出しているのは、まん丸の頭部に両耳がない地面男だ。「秀」というのはラストサムライの名前みたいだけれど、ラストサムライは地面男のことを「旦那」と呼んでいたからどうやら地面男の方が立場が上らしい。

 地面男はすぐにまた砂の中へ頭部を隠すと川一面を覆っていた砂もまた地中へと戻っていく。

 砂の中に埋まっていたラストサムライの姿が現れるとママ渾身の攻撃は無駄にはなっていなかったことが判明する。無駄どころか外灯の根本がラストサムライの脇腹を貫いて串刺しになっている。左腕にも太い木の枝が二本も刺さっている。

 勝ったと思った。

 流石にここまでの致命傷を負っては戦闘を継続することなんてできない。もう斬撃が飛んでくることはない。地面男の砂を自在に操る? 異能力くらいならママの力を持ってすればなんとでもなる。砂なんてせいぜい砂の中に人間を埋めて窒息死させることしかできないだろう。でも空を飛ぶことができるママがそう簡単に砂に埋まる訳がない。

「旦那ぁ……すまねえ。しくじっちまった……女の強え時代になった」

 脇腹と左腕から大量に出血して足下に血溜まりができている。

「お前はこの戦いを最後まで見届けろ」

 いつの間にかに川沿いの遊歩道に立つ地面男が言う。初めて全身の姿を見せたが海パン一枚しか身に纏っていない。胃が弱いのか痩身で肋骨が浮き出ている。まるで昆虫みたいだ。

「……女児は確保できてるんですか?」

「当然だ」

 地面男の背には丁度女の子一人入りそうな大きさの蟻塚ができている。

「鳥獣みたいに空を飛んでいるあの女。お前よりも死期が近いように見える」

 なんだこいつ起きながら寝言でも言っているのか睡眠不足なら早く家へ帰って就寝しろラストサムライを半殺しにして勝利目前のママが死ぬ訳ないだろうと思うが、遥か上空を飛んでいるはずのママを見てみると、いつの間にか高さ二十メートルくらいの高度まで下がってきていて顔中に脂汗までかいている。

「ママ!」

 俺が呼んでも無反応のママ。

 死に損ないのラストサムライが気持ちの悪い笑みを浮かべている。

「秀、やれるか?」

「……援護します」

 直後、地面の中へ再び姿を消す地面男。

 血を吐きながら居合いの構えをとるラストサムライ。

 ママは視線を動かして穴師の動きを追ってはいるが異能力の使い過ぎによって体力を消耗していて身動きが取れないみたいだ。

「旦那ぁ!」

 ラストサムライが叫ぶと遊歩道沿いの排水溝からママへ向かって砂が噴き上がる。

 ママは異能力を解除して地面に落ちることで向かってくる砂を避ける。

 しかし砂は方向転換してママに向かってくる。少し体力が回復してきたママはなんとか自力で避けることができた。でもそう何度も避け続けることはできない。それに砂なんかよりも危険な異能力がある。

 ママが向かってくる砂を避けることに必死になっている隙をついてラストサムライが居合斬りを放った。ママも気づいて異能力で空を飛ぼうとするけれど両足に地面男の砂が巻きついてしまい身動きが取れない。

 

 俺は今いるこの空間の変化に気づく。

 

 時間の流れが遅くなっているのだ。

 

 何だろう、この感じ、と思う。

 本当に時間の流れが遅くなっているのか、

 それとも俺の感覚だけが狂ってしまっているのか。

 何かの漫画で読んだことがある。

 人間は死の直前に時間の流れを遅く感じることがあって、

 

 そのとき過去の情景が走馬灯のように脳裏に浮かぶことがあるって。

 

 もしそれが本当のことだとしても今一番死に近いのはママでもオレでもなくて、

 

 腹に大きい風穴が空いているラストサムライだ。

 

 俺はお前の強さを認めている。

 

 ママの指を二本も切断するなんて、

 

 ママに二つの異能力を同時に使わせるなんて、

 

 そんなことができるのは、

 

 この地球上にそう何人もいない。

 

 ママが血を流すところなんて初めて見た。

 

 俺は、ママが犯罪に手を染める異能力者たちを圧倒させるところしか見たことがなかった。

 

 だからお前は最強だ。

 

 ママ以外の異能力者達の中では。

 

 ドックン‼︎

 

 心臓が大鐘を叩く。

 

 俺の脳裏にこれまで読んできた数々の漫画の場面が流れてくる。

 

 主人公の敵側が死ぬ場面なんかで、

 

 時間の流れが遅くなることなんてあっただろうか? 

 

 いやあったかもしれないけれどその数は少なかった。

 

 大体は主人公側のキャラクターが死ぬ直前に決まって時間の流れが遅くなるのだ。

 

 ということは今死を目前にしているのはラストサムライではなくて、

 ママか俺かということになる。

 

 でもこんなにママが圧倒的有利な状況で、

 

 形勢逆転されることなんてあり得ない。

 

 って俺は信じている。

 

 信じなきゃだめだ。

 

 だってママは死ぬ訳ないし俺も死なない。

 

 死にたくない。

 

 死なせたくない。

 

 あれ? 

 

 ママが地面男の砂に捕まっている? 

 

 なんで? と思う。 

 

 俺は自分の目に映る光景を信じない。

 

 自由に空を飛べるママが、

 

 飛べなくなるなんて。

 

 大丈夫だよママ。

 

 ママはいつでも飛ぶことができて、

 

 俺もパパもそれを望んでいる。

 

 だから……そんな砂はさっさと振り払ってよ。 

 

「ごめんね、葉」

 

 ラストサムライの居合い斬りが、

 

 ママの腹部を深く切り裂く。

 

 身体の中に詰まっていた内臓と血液が大量にこぼれ落ちる。

 

 意識が途切れて崩れ落ちるママ。

 

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 おれは

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 俺は

 …俺は

 …俺は

 …俺は

 …俺は

 …俺は

 ……俺は

 ……俺は

 ……俺は

 ……俺は

 

 ………どうしたら良い?

  

 ママが死んだのと同時に俺の意識も途切れてしまうのだった。

 

 

 

 俺はまっくろくろすけが嫌いだ。それは何故かと言うと劣等感を掲げて生きている自分の姿を見せつけられている感じがして嫌な気持ちになるからだ。陽の光を浴びずに人の目を気にしながら劣等感に押し潰されて無為な時間を過ごす。まっくろくろすけってそういう奴だ。姿が陰気だからきっとそうだ。だから俺はまっくろくろすけみたいにはなりたくないけれど今の俺の姿はまっくろくろすけそのものだ。頭と手足と胴体と下半身、つまり全身が真っ黒の毛髪に覆われてしまっていて毛達磨みたいな感じだ。

 首を傾げながらなんでこんなことになっているのだろうと思う。現実にはあり得ない姿だから夢の中にいることは分かる。でもついさっきまで穴師との戦いの中にいたのに何故眠ることができるのだろうと自分を軽蔑する。…そうだ、ママが負けてお腹が真っ二つに割れて詰まっていた内臓がこぼれてしまって俺はその光景を目にしたショックで意識を失ってしまったのだ。

 

 ママが負けた。

 

 嘘みたいだけれど本当のことなのだ。

「葉くん少し見ない間に格好良くなったじゃん」

 死んだ筈のママの声が聞こえる。

「最低な気分だよ。て言うか死んだんじゃなかったの?」

 傷もなく綺麗な姿で現れるママ。

「死んだよ。でも言ったでしょ? ママは負けないって」

「お腹を切られたんだよ? どう戦うって言うのさ。もうゆっくり休みなよ」

「あんたに気を遣われたら私もお終いね。最後に教えておきたいことがあってね」

 ママ突如、異能力を解放して空を舞う。

「葉は両極端だよね。今まで禿頭を気にしていたのに今は髪の毛が沢山生えて顔も見えなくなってる」

「俺だってこんなまっくろくろすけみたいになりたいなんて思ってない」

「そう? 本当は葉が望んでいたことなんじゃない? だってそうじゃなきゃそんなに沢山毛が生えることなんてないでしょ」

「ここまでは望んでない。普通に髪の毛が生えてきて欲しい。ワックスとか使って髪型を楽しみたいと思ってただけで」

「ふーん…そう言うなら深くは突っ込まないけど、とにかくその姿が葉の異能力だから。現実に戻っても使える強力な力」

「えっ! これが俺の異能力? 毛達磨になって何ができるって言うの?」

「それを今から探るんだよ!」

 ママが地面スレスレを飛びながら向かってくる。

 反射的に両手で防御しようとするが多量の毛髪が邪魔で思うように動けない。

「怖がらない」

 そう促されてただその場に立って 時を待つ俺にママは数発の拳と蹴りを入れてくる。でも痛くも痒くもない。毛髪は弾力性があって衝撃を全て吸収してくれるのだ。

「次ぃ!」

 何処からかコンクリートブロックや看板、自転車が俺に向かって飛んでくる。サイコキネシスまで使うなんて夢の中とは言え息子を殺すつもりのかよと少しショックだ。だけれどさっきのママの攻撃を無効化できたことで自信がついた。避けるまでもない。ブロックも看板も自転車も全て毛髪がボヨンと弾き返してくれてそれを見たママは悔しそうに唇を噛むんでいる。

 次は俺の番だ。

 頭皮へ、毛髪達へ、全ての意識を集中させてこの異能力で何ができるのかを探ってみる。すると脳の容量を遥かに超える情報に襲われて目眩がする。多量の毛髪は全部で百六十八万八千七百五十二本あって人間は一人十万本程度の本数が平均的だから実に十七人分の毛髪が俺の頭皮の毛穴を埋め尽くしているみたいだ。これだけの量なら重さも相当なものになって首の骨が折れる危険があるんじゃないかと思うけれど俺の首は真っ直ぐに伸びていて全然折れてしまう感じがしない。首に負担がかかるどころか禿頭のときと大差ないくらい毛髪の重さを感じない。何故なら百六十八万八千七百五十二本の毛髪は全て俺の肉体の一部だからだ。同じく肉体の一部である、掌、腕、足、頭、お腹、背中にあまり重さを感じないことと同じだ。そして毛髪達は俺の脳から発せられる指令に従順なのだ。実際に毛髪達に指令を出して蛇みたいにうねうねと動かす。

「キモっ」

「いくよママ。上手く避けてみて」

 言うのと同時に百六十八万八千七百五十二本の毛髪がママへ向かって伸びていく。即座に空に逃げるママだけれど毛髪は何処までも伸びていき標的を逃がさない。この異能力の恐ろしいところは毛髪の硬質までも変化させることができることだ。俺はまた毛髪達に指令を出して鋼ような硬さに変化させてみる。

「葉、ちょっとタンマ。ママを殺すつもり?」

「もう死んじゃってるじゃん。俺はママよりも強くなって穴師を絶対に殺すから。鈴ちゃんも助ける……絶対に助けるんだ! もう誰も殺させない」

 ママは姿が捉えれなくなるほどの速さで飛び追跡する毛髪を振り切ろうとするが逃さない。ママよりも強かった穴師を倒すためには、ママを超えなければいけないのだ。

 毛髪達よ、もっと速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く速く…………速く!

「ちっ!」

 捕まえた。 

 ママの両ふくらはぎを硬質化した毛髪達が貫いた。

 俺がママに勝った。

「本当に強くなったと思う。その若さでママを超えるんだ……なんかもう悔しさもあるけれど寂しさと嬉しさも一緒になってもう複雑って感じ」

 言いながらママは空も飛べずに地面に着地する。

 ママの両ふくらはぎを貫いていた毛髪達を抜いてみると出血もせずにただ穴が空いているだけだ。

「ママはね、葉が戦わなくても良いようにいつまでも強くいなきゃいけないって思ってた。世界で一番強い母親、どんな悪者もやっつける最強のヒーロー。でもこんな早く死んじゃって、ごめんね」

「あとは俺に任せてママはゆっくり休みなよ。ママがラストサムライの腹に風穴空けてくれたから勝ったも同然。一人でも大丈夫だよ」

「うん、そうかもしれない。でもね、やっぱり自分の息子が殺されるかもしれないってときに休んでいられる親なんていないのよ」

「なら生き返ってくれるの?」

 ママは答えられない。

 何故なら流石のママでも死んでしまったらお終いだからだ。

 生き返ることはできない。

「いじわる葉次郎」

「あっそ」

「生き返れないけど、言ったでしょ? ママは穴師なんかに絶対負けないって」

 俺はいつの間にかに、まっくろくろすけから毛髪のない普段の三好葉次郎へ戻る。

「いつもの葉くんじゃん。そっちの方が格好良いよ」

 夢が、ママとの最後の時間が終わろうとしている。

 別れの言葉をちゃんと言わなきゃと思うけれど思いつかない。

 まだ地面男が無傷だしラストサムライにも止めを刺さなければならない。

 現実の世界に戻って戦いが終わったら言おう。

 ママならきっと待っていてくれる。

 

 

 

 

 途切れていた意識が戻る。

 町田市の……いやもしかしたら日本、世界の存亡をかけた戦いが始まる。

 腹を切られたママは血の海の中に倒れていて身動きひとつしない。それでも俺は夢の世界でママが言っていた言葉を思い出しながら笑う。

『死んだよ。でも言ったでしょ? ママは負けないって』

 笑うのだ。

 

 ママを安心させるために笑うのだ。

 

「オイ! 遊歩道に隠れているガキ。腹に風穴が空いていたってな、てめえみたいな薄らハゲネズミ一匹くらい容易く殺れるんだよ」

 マジである意味尊敬する。

 一般人ならとっくに死んでいる程の血流しながらまだ戦う意志も声の張りも失わないラストサムライ。ママを殺したお前は死ななければならない運命だけれど、その鍛え抜かれた心身の強さは認める。

 そして疑問が一つ浮かぶ。

 まだ無傷でいる地面男は何処にいる?

 辺りを見回してみるとさっき砂が噴き出してきた遊歩道沿いの排水溝から人間サイズの砂団子がポコんと飛び出してきてそのまま遊歩道に叩きつけられて落ちて粉々に割れる。地面に散らばった砂が不気味に蠢いて少しずつ人体の形を形成し始めると最終的には地面男になる。

「秀、お前のお陰で一番面倒な奴は殺せた。しかし信じられねえな。重力を操るなんて人間には過ぎた力だ」

「早急に毛無しのガキを殺りましょう。……もう……意識を保つだけで精一杯です」

「お前が生きている内に殺る」

 地面男は自身の肉体すら砂へと変化させることができるのかと驚いている暇もなく、最後の戦いに挑む。

 俺は頭皮へ全ての意識を集中させると身体全体に激しい痒みと熱さが襲ってきて超不快って感じだ。

 頭皮に集まる意識と激しい痒みと熱さを全て一気に外部へ放出するイメージ繰り返すと俺の異能力は発現する。

 禿頭から黒い針金くらいの太さの毛髪百六十八万八千七百五十二本が突如として生えてきて俺の全身を覆う。

 

 準備完了。

  

 葉次郎まっくろくろすけモード始動。

 

 大嫌いだけれど、まっくろくろすけも上手く使えば強力な武器になる。

 

「何だと⁉︎ こいつも異能力を使うのか? 聞いてねえよ旦那」

「俺も初見だ。このガキはガキで面倒そうだ。さっさと殺るぞ」

 地面男の肉体が砂に変化して地面と一体化する。直後、鯨が潮を噴くように地面から砂が噴き出してきて俺に向かってくる。

 

 大丈夫だ。

 

 避けるまでもない。

 

 砂が俺を直撃するが毛髪が全ての衝撃を吸収して痛くも痒くもない。砂が多くて頭まで埋もれてしまったが、埋まる直前に毛髪の内側に空気を溜め込むことができたから窒息することはない。

「大した防御力だ。それでも秀の一太刀は受けきれない」

 砂に溶け込んだ地面男の声が四方から響く。

「ガキはここにいる。やれい!」

 大音声の叫びが俺に死の恐怖を感じさせる。

 でも全然諦めてなんかいない。

 戦いはこれからなのだ。

 毛髪達に指令を出す。

 鋼のように硬質化して絶対俺に傷ひとつ負わせないこと。

 それと…。

「……死に腐れ」

 砂の上から聞こえるその小さな呟きに戦慄する。人を殺すことについて何の感慨もなくて今自分が死のうとしていることすらも受け入れているような落ち着きすら感じる声。

 ラストサムライにとって、地面男にとって、死とはいったい何なのだろう。

 なんで殺したり、殺しのために死のうとしたりするのだろう。

 俺はそれが知りたいと思う。

 何故なら穴師と俺達の世界とでは殺すことや死の捉え方が決定的に違うから今こうやって戦うことになっている。

 絶対にあり得ないかもしれないけれど、穴師と一緒に大森のルアンとかに行ってコーヒーを飲み干すまでじっくり話すことができれば、殺し合わずに済んだのかもしれないと一瞬頭をよぎる。

 

「来る」

 

 俺を埋めていた砂の上半分が吹き飛んで頭部だけを砂上に晒す滑稽な格好になる。

「時間がねえ……」

 血を多量に失い真っ青な顔色のラストサムライがもう一太刀を振ろうとする。腹の風穴からの出血が止まりかけているのは、多量の出血によって体内には僅かな血液しか残っていないからだ。 

「これが最後です。あとはあなたに託します」

 ほんの数秒だけ辺りは静寂に包まれる。

 深い呼吸を繰り返したラストサムライが最後の一太刀を振った。

 空間を飛ぶ斬撃は砂を容易く切り裂いて俺の胴体を直撃する。でも大丈夫。全身を包む硬質化された毛髪達が俺を守ってくれる。傷一つない。しかし毛髪達まで無傷とはいかず三十万二千九百七十五本の毛髪が切断されてしまう。それでも戦闘には支障がない。まだ百三十八万五千七百七十七本も残っている。

「…生意気なガキだよてめえは…こっちはママのいる天国に送ってやろうって親切心でやってるのによ…」

 ラストサムライは握っていた刀を落とし、とても緩慢な動作で顔から地面に倒れる。だけれど肩が上下に動いているからまだ息はしているみたいだ。

 毛髪達を伸ばしてそれを川沿いに生えている樹木に括りつける。伸びた毛髪を縮ませると俺の身体は砂中から飛び出して遊歩道まで素早く移動する。

「お前はママを殺した。それはこの世界で最も重い罪だ。だからお前は今すぐに死ね」

 硬質化した毛髪の束を八つ作りその先端を広げて斧のような形状にする。

「貴様は八刀刑」

 と刑罰を言い渡してから刑の執行に取り掛かる。

 まず一刀目で右胸、二刀目で左胸の肉を削ぎ落とす。もう既に血液は失われてしまっているから出血はほとんどない。ラストサムライの意識は朦朧としているので叫び声を上げることもない。三刀目は右上腕、四刀目は左上腕、五刀目は右腿、六刀目は左腿と肉を削いでいく。常人なら既とっくに死んでいてもおかしくないのだけれど、まだ息をしている。でも次の七刀目でラストサムライと言えども最後になる。

 七刀目。

 毛髪の斧をその太い筋肉質の首へ振り落とすと首は胴体から離れて川辺を転がっていく。絶対に死んでいるが最後の八刀目で腰を切断して八刀刑は終了する。ついでに手足もパパッと切断しておく。中国の王朝で国家反乱等を企てた者に対する最高刑罰「凌遅刑(りょうちけい)」を清朝が簡略化したものが八刀刑なのだけれど実際の順番と合っているのか心配だ。まあ滅んだ王朝の決まり事なんて現代に生きる俺が律儀に守る必要ないから気にしないようにする。それにラストサムライはバラバラになって死んだからやり直しは効かない。かつてはバラバラになった罪人の肉体を漢方にして売買されていたみたいだけれど俺もさすがにそこまで性根が腐ってはいないからやらない。

 文字通りラストサムライを八つ裂きにするのに夢中になってしまっていたけれど仲間を殺されて地面男が黙っている訳がない。

「秀、死んだのか。これで心置きなく戦える」

 

 意外とクールな地面男。

 

 しかし状況はクールではない。

 

「もう殺し方には拘らん。お前も女児もこの街の住人も全員殺す」

 

「痛っ」

 

 突然、乾燥によって唇が裂けて出血する。

 そして周囲の川も草花もコンクリートの道路も視界に入るもの全てが著しい早さで風化して崩れ、砂になる。

 もちろん住宅街なので中年サラリーマンが人生をかけて建てたであろう一軒家も崩れて辺り一面砂の海だ。これは鳥取砂丘ならぬ町田砂丘。もしかしたら町田は滅んでしまったのかもしれない。だけれど俺はそんなことは許さない。生まれ育った街なのに愛着なんてないけれど、ママとパパから住処として選ばれた街。俺を生み育ててくれた街。そういう意味では町田市に感謝しているから救いたいのだ。

「何処に隠れている。姿を見せろ禿頭!」

「お前が言うな。先刻まで同じ禿頭だっただろう」

 地面男の声は聞こえてくるが姿はまだ見せない。あとなんか急に暑くなってきて額から汗がだらだらと流れてきたので毛髪に拭ってもらう。陽の光が強くて眩しい。もう此処は日本じゃない、町田じゃない、中東の砂漠地帯みたいだ。 

「秀を殺った罪は重い。干物にしてやるよ」

 間抜けが干物になるのは骨が浮き出るほど痩身のお前が先だと思うけれどそんなことを言っていられる状況ではなくなる。

 俺が着ているアディダスの上下まで風化してきて微風に当てられるだけでボロボロと形が崩れていく。でも別に焦らない。俺には全身を覆う従順な毛髪達がいるから例え服や下着がなくなっても身体を隠すことができて恥を晒すようなことはない。直後そんな考えは甘かったことに気づく。

 毛髪達まで風化が進んで一本、十本、百本と崩れ砂となり風に吹かれていく。

 これはマジでやばい。長期戦になればなるほど状況が悪くなる。少しでも早く勝負を決めなければならない。地面男を殺さなければならない。

 毛髪の内側に空気を集めて風船のように膨らませるとふわっと空に浮かんでいく。上昇するほど風が強くて、バランスを崩しそうになりながらも砂漠全体を見下ろせる高度まで到達する。ぱっと見、町田の面積五分の一くらいは砂漠化しているみたいだ。俺が負けてしまったら本当に町田は消滅してしまう。

 だから絶対に負ける訳にはいかないのだ。

 硬質化させた全ての毛髪達を砂漠全体に向けて一斉に伸ばす。 

 砂漠の西南あたりに何かが毛髪に刺さった感触があって引き上げてみると砂上に出てきたのは痩せ細った犬だ。俺等の戦いに巻き込まれた住宅街の野良だろう。南の方でも手応えがあったのでまた毛髪を引き上げてみると七十台後半くらいの男性の首に毛髪が突き刺さって死んでいる。俺の攻撃によって死んだのかそれとも砂中に埋まって窒息死をしていたのかが先かはっきりしないけれど罪もない人を手にかけた可能性があることに落ち込み鬱になる。

 他の毛髪には何かを突き刺した感触がないので一度全て引き上げてからもう一度毛髪達を砂漠へ向けて伸ばす。

 おっ? 何か手応えがある……野良犬とも高齢男性とも違う感触だ。

 これは、これは、これは、来た来た来た来た来た来た来た来た来たあ!!!!!!!!

 手応えのあった砂漠東方の毛髪を引き上げると地面男が砂中から姿を表す。毛髪が五十本くらい下腹部の辺りを貫通して傷口から内臓が露出しているけれど不思議と出血はしていない。この変態は周囲を風化させながら自分の体内の水分、血液すらも枯らせていたみたいだ。これだけ大規模に周囲へ影響を与える異能力だから、その分地面男にかかるリスクも大きいのだろう。

 そんなことより勝負は決まった。絶対悪の穴師に勝って町田は救われた。あとは鈴ちゃんを見つけて家へ無事に返して終わりだ。

「……これだからお前はガキだって言うんだ。爪が甘いんだよ、間抜け」

 下腹部に穴が空いているというのに笑みを浮かべながら言う地面男。

「負け惜しみを言うな。その状態じゃあ何もできない」

「まだ勝負は決まっちゃいない。俺がこの街を滅ぼして終いだ」

 町田砂丘の砂が不気味に蠢いている。

「俺の異能力は大災害すら起こせる! 砂の大津波で町田と共に死ね!」

 地面男の異能力によって生み出された砂が大津波を起こして空中を浮遊していた俺に襲いかかってくる。一体この砂は全部で何千万tの重量があるのだろう。毛髪達に防御態勢をとってもらったところでおそらく何の意味もなさない。俺は容易く押し潰されて身体は粉々になりママのもとへ逝く。

 ママが命をかけてラストサムライに致命傷を与えてくれたのに、すぐに地面男を殺しておけば戦いは終わっていたのに、そうすれば町田も鈴ちゃんも救ってハッピーエンドで終わる筈だったのに。

「……ママごめんね。勝てなかったよ」

 砂の大津波が轟音を立てながら迫ってくる。

 俺の貧弱な肉体は押し潰されて町田も消滅する。

 

 全てを諦めて目を瞑る。

 

 ……あれ?

 

 もう三十秒くらい経ったのに俺の身体は粉々にならない。

 

 閉じていた瞼を開けてみる。

 

「……大津波止まってる? なんで?」

 何が起きたのか全然理解できない。目の前で砂の大津波が静止している。

「お前は死んでいる筈だろう?」

 砂に埋もれて原型を留めていない恩田川の支流があった辺りを見下ろすと小さな人影がゆらゆらと揺れていて、その人影は、その人は俺を懐かしくさせる。泣きそうになる。でも歯を食いしばって涙を堪えながら言う。

「ありがとう、ママ」

 もちろん腹は割れたままだし内臓は無いし息もしていないし瞳孔が開きっぱなしで声を出すこともできないママは完全に死んでいる。それでもママは動かない筈の身体を動かして、俺を助けてくれたのだ。

 

『死んだよ。でも言ったでしょ? ママは負けないって』

 

 俺は、その言葉を忘れてなんかいない。

 

 ママが言うことはどんな経過を辿るにせよ必ず実現する。嘘にはならない。ママが負けないと言ったら負けないのだ。穴師との勝負の行方は最初から決まっていたのだ。

 

 ラストサムライを八刀切りした時と同じように、毛髪達に指令を出して斧へと変形させる。

 

「娘を殺す! お前が俺を殺す前に絶対に殺す! 俺を見逃せば娘は殺さない! お前が選べる選択肢はひとつだ。」

「三好君。私はここにいるよ」

 

 ママの背後から顔を出しているのは間違いなく鈴ちゃんだ。顔と身体がちゃんと揃っているから大丈夫、生きている。それに鈴ちゃんの腕にはミロが抱かれていて「キュン」と誇らしげに鳴いている。ありがとう、ミロ。鈴ちゃんを助けてくれて。それと……。

 

「……ありがとう、パパ」

 ミロのお陰で心置きなく戦える。

「地面男、お前のような人間は生かしておけない。ママと俺がいなかったら町田は滅ぼされていた。ここでお前を逃したら四十万人の町田市民は安心して夜も眠れなくなって精神を病む。だからお前を殺す」

「俺の意見は無視か? お前らにとって都合の悪い人間は殺して良いなんて寝ぼけたことをぬかすな! 人の命を天秤にかけるなんて、そんな権利ねえだろう? 強者っていうのはな、弱者より控えめに生きていくべきだ。そうじゃなきゃ世の中いつまで経っても良くならない」

「殺人鬼のお前が言えることじゃない。さっさと死ね」

「……ふっ」

 地面男は小さく笑う。

 こいつ自分の人生が今ここで終わることを受け入れたんだなと思った。その光だとか希望を感じない暗い瞳から、何かを悟ったような穏やかな感情が読み取れる。

 早く止めを刺さなきゃと焦る。でも俺はすぐに毛髪達に指令を出せないでいる。何故なら

地面男の追求に何も答えられなかったからだ。女子高生の胴体を真っ二つにしてスケキヨ殺害シーンを再現するような人でなしに何を言われても気に病む必要なんてないのだ。でも、そう頭では分かっていても、町田を救うためだとしても、ラストサムライを殺してしまって良かったのだろうか? 俺は間違った選択をしてしまったのではないだろうか? 地面男も本当に殺して良いのだろうか? 頭から疑問が離れてくれない。何よりも正しい選択肢がある筈だ。

 

「……………ヨォ…ゥ……」

 

 聞こえる筈のない懐かしい声が聞こえてくる。

 

 小さくて掠れている声。

 

 死んだ筈のママを見てみるけれど、顔に血の気がなくて声もそれ以上続いていない。

 

 優しく背中を押された感じがした。

 

 俺に迷っている暇なんてないのだ。

 

 地面男の下腹部を貫いている毛髪を思い切り振り上げるとその傷口から毛髪がスポンと抜けて地面男は遥か上空へと飛んでいく。

 毛髪を全て集め一本の巨大な槍のような形状に変化させてそれを上空へ向けて思い切り伸ばしてやる。

 

 地面男が笑みを浮かべている。

 

 俺も真似して笑ってみる。

 

 何だろう?

 

 今、言葉を交わしていないのに意思が通じ合った感じがした。

 

 俺達は開き直って生きるしかないんだって。

 

 自分の欲望のままに振る舞うことしかできないんだって。

 

 槍の形状をした毛髪は、上空の地面男を真っ二つに切断する。

 

 血と内臓の雨が降る。

 

 毛髪達はその役目を終えたことを感じたのか全て抜け落ちて俺は禿頭に戻ってしまう。滞空もできなくなって地面へ落下する。でも死なない。

 地面男が作った町田砂丘がクッションになって左足の脛を骨折するだけで済む。だけれど痛いものは痛いから「痛え‼︎」と我慢せずに叫んでみる。痛みは引かない。全然痛い。

「三好君。格好良かったよ。助けてくれてありがとう」

 激痛でまともな返事ができないけれど鈴ちゃんの身体が綺麗な感じっぽくってちゃんと守ることができたと安心する。

 ママの異能力で静止していた砂の大津波は地面男が死んだことでコントロールを失い、崩れていく。

 砂の大津波が完全に崩れ去った直後、ママの身体も力を失って地面へ落ちていきそうになるが落ちない。何故ならママは誰かに抱かれて町田砂丘へ安全に着地することができたからだ。

 その誰かっていうのは、俺にミロを与えて間接的に鈴ちゃんを救ってくれた人でもある。

「良くやった葉次郎。文字通り骨が折れた戦いだっただろう。今はゆっくり身体を休ませろ。後始末は俺がやる」

「パパ……ごめん。ママを守れなかった」

「責任を感じなくて良い。春子は葉次郎と神田鈴と町田を守りたかったんだ。春子は俺が守らなきゃいけなかったんだ」

 パパは両腕で抱いているママの顔をじっと見ながらひとつ涙を流す。その涙はママの頬へ落ちる。安らかな死顔のママ。目元は笑っているように柔らかくて、ようやく長い戦いから解放されて休むことができるねと俺もひとつ涙を流す。

 パパが来てくれた安心感で緊張の糸が解けて急激な疲労感と眠気に誘われる。俺の意思とは無関係に瞼が閉じて意識の幕が降りていく。

 

 

 

 

 目が覚めると自分の部屋にいる。

 窓際には生気のないミロが腰を下ろして座っている。

 試しに「ミロ元気?」と声をかけてみるけれど何も反応はない。ただの剥製に戻ってしまったみたいだ。ミロが動かなくなっても俺は君への感謝を忘れない。穴師との戦いが始まる時に何処が戦場になっているのか探してくれたり鈴ちゃんを助けてくれたりしたことへの感謝を。いざって時には頼りになる奴なのだ。

 トイレに行きたくてベッドを降りようとしたけれど骨折していた筈の左足に痛みを感じないことに気づく。大分良くなっているみたいだ。一体何日間も眠っていたのだろう。気分は浦島太郎って感じだ。

 何の不自由もなくトイレを済ませると「葉次郎」と上階から呼ばれた気がしたので階段を上る。パパの部屋をノックして扉を開けると部屋のど真ん中にピラミッドから発掘されたような厳かに装飾された棺桶が置かれている。

「ようやく目覚めたか。一週間は眠っていたな。異能力が発現してすぐあんな無茶な戦いを強いられたから当然と言えば当然だが」

 棺桶の影で見えにくいけれど部屋の奥にあるシックな洋風の椅子にパパは座っている。

「俺が眠った後、町田はどうなったの? 鈴ちゃんは無事に帰れた?」

 パパは近くの机上に置いてあったマグカップに口をつけてから息を深く吸う。

「穴師に砂漠化された地域はどうにもならない。地盤が崩れているから元通りに再生することは不可能だ。でも無駄にはならない。砂漠地帯は鳥取砂丘のように観光地化させて経済の活発化に繋げるみたいだ」

『繋げるみたい』ということは多分、町田市が発信している情報なのだろう。

 パパはもう一度マグカップに口をつけて少し間を空けてから続ける。

「葉次郎の同級生。神田鈴は俺が家まで送り届けた。泣きながら感謝していたよ。彼女からの伝言だ。『私の命を助けてくれてありがとう。あとこの間、酷いこと言ってごめん。反省も後悔もしている。今度、学校で会ったときに直接謝らせてください』だそうだ」

「うん。神田さんに会った時に話してみる」

「それと……俺の異能力がどんなものなのか知っているか?」

「なんとなくだけどね。剥製のミロを生きているかのように動かす異能力。……ネクロマンシーってやつでしょ?」

「正解だ。死体さえあればどんな生き物でも生前の姿を再現することができる。色々と制限はあるがな」

「再現?」

「あくまでも声や行動、仕草等しか再現できない。所謂、魂とか意志までは元に戻すことはできない」

 俺は今パパが何を言おうとしているのか、何をやろうとしているのかが分かった。

 自分の異能力、それもネクロマンシーという特異な力について説明をする。

 目の前には人間用の棺桶がある。

 そして俺とパパは、大事な人を失ったばかりだ。

「会いたいか?」

「会いたい」

「俺も同じだ。人間に使って成功した試しはないが、やれることやる」

 パパの目が青い光を帯びて棺桶の重厚な蓋が小刻みに震え始める。異能力を発現したみたいだ。俺もつられて頭皮に熱を感じ多量の毛髪が勢いよく生えてくる。

 パパは椅子から立ち上がると棺桶に近づいて両手をかざす。額には太い血管が浮き出ている。

「……春子……上手くいってくれ」

 棺桶の震えが収まったと思ったら蓋が飛んで天井にぶつかり色んな破片が降ってくる。

 そして棺桶の中から真っ白な煙が噴き出してきてあっという間に部屋中に充満する。

 視界不良で何も見えない。

 パパ、ネクロマンシーは成功したの?

 

 しばらく何も起きずに周囲は静寂に包まれる。

 

 ただその場に立って待つことしかできない。

 

 多分五分くらい? の時間が経過して部屋に充満した煙が少なくなってきたと思ったら、目の前から突然、陶器のように白くてかさかさに荒れた手が伸びてきて驚く。でもその手を見ていると心が落ち着く感じもする。

 

 その手は何故か俺の頬をつねってきて、それが結構痛くて泣きそうになるけれど、俺の涙腺を刺激する最大の理由は別にある。

 

 部屋に充満していた煙が消えていく。

 

 視界が良くなる。

 

 俺の頬をつねっている誰かと目が合う。

 

 でも何か恥ずかしさがあって目をそらす。

 

「お帰りなさい」

 

 目を合わせなくても言葉をかけることはできる。

 

 頬の痛みから解放されるのは、何かまだ勿体無い気がして、「痛い」とか「離して」だとかも言わずに、ただ黙って痛みとその人が持つ懐かしさに浸る。

 

 幾度も夜空の星が巡り、自分に死が訪れたとしても、いつまでも、このまま、あなたを感じていたいと思う。


(完)

彩ふ文芸部

大阪、京都、東京、横浜など全国各地で行われている「彩ふ読書会」の参加者有志による文芸サイト。

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