いつ頃からだろうか、私は将とセックスをしてる時大体が正常位の時だけれど、私の首を絞めて欲しいとお願いするようになった。世間では窒息プレイだとか首絞プレイだとか言われる類の、いわゆるアブノーマルな行為だ。最初は気味悪がっていた将も私が首を絞められて苦しんでる間、どうやら膣の締まりが良くなるみたいで、将もそれが気持ち良いらしく頼むといつもやってくれるようになった。
なぜそんなことを言い出したのか、明確な理由は私にも分からない。将に私の生死の天秤を委ねてみたかった、なんて考えは飛躍しすぎだろうか。もしかしたらそのうち何か事故でも起こって私はそのまま死ぬかもしれない。でも私はいつか将がいとも簡単に天秤を死に傾ける瞬間を待ち望んでいるのかもしれないと苦しみと快楽の最中に思うことがある。どうせ私は将とは身体だけの関係だ。そう思いながらもセックスするたび、将が私の首を絞めてくれるたび、私の頸動脈が締まって血流が滞るたび、そして苦しみが絶頂と快楽を招き私が溺れていくたび、将への愛が虚しく募っていってることに将は気づいていない。
将には玲子という彼女がいる。前に写メを見せてもらったことがある。黒髪のボブが似合う顔立ちのはっきりした美人で、しかも頭が良さそうに見える。ある時「玲子にはしたことないの?首絞め」と聞いたら「するわけないだろ。こんなので喜ぶド変態はお前くらいだよ」と言われた。将は玲子とどんなセックスをしているのだろう。いたって普通な、教科書通りのセックスをしているのか。もしかしたら玲子は私とは別のアブノーマルな性癖を持っているのかもしれない。その行為がいつか死をもたらすような瞬間を玲子は将に求めているのかもしれない。でも私より先に玲子が快楽のまま死ぬのは許せない。せめて将は私に死の快楽を与えてから私の元を去って欲しい。
この日の将はどこか機嫌が悪くセックスもいつもより雑さを帯びていた。前戯もそこそこに将は私の中へ自らを挿入した。そして鬱憤でも晴らすように腰を振り、私の首に手を伸ばした。次第に暴力的になっていく腰の振りに合わせるように、首に置かれた将の手にも徐々に力が入る。込められていく力がいつもの加減を優に超えた時、私は声を発することが出来なかった。そしていつか来るであろうその瞬間が来たと私は感じ、普通は両手をじたばたさせ何かアピールでもするのかもしれないが、私は抵抗しないことにした。そして将が私の中で果てるのを感じたのと同時に意識が砕け、視界が暗くなった。
頬に痛烈な痛みを感じて目を覚ます。ぼやけていた焦点がゆっくりと合い、そこがいつものラブホの一室で私を打ったのが将だと気づく。未だぼんやりとした意識で辺りを見る私に将は「マジでビビらせんなよ、死んだかと思った」と言った。その言葉が私の失っていた意識の溝を埋め、自分が何を望んでいたのかを思い出した。そうか、死ねなかったのか。そのまま殺してくれてもよかったのに。そんなこと言ったら将は何て思うだろう。気狂いかと思ってもう会ってくれないかもしれない。ただ私の望んでいることをそれとなく将に伝えてみたくなった。
「いつか私が本当に死んだらどうする?」
「は?逃げるに決ってんじゃん。お前殺したくらいで捕まりたくないし」
「死姦とかしないの?」
「何言ってんの、きも」
そうだね、きもいね。そう呟きながら私はふらふらとバスルームへ向かった。何回か打ったのだろう、頬がまだひりひりと痛み、熱めのシャワーが頬に染みる。将は私を殺してはくれない。当たり前すぎる答えに笑みが零れる。将が私を殺したって将は何も得ない。それどころか殺人の罪で捕まる。発狂のような我儘の前に当たり前のことすら失念していた。私のためにそんなことしない。だから逃げずに助けた、それだけのことだ。また気を失ったら今度も助けるのだろうか。それともそのままにして逃げるのだろうか。私の生死を委ねた天秤が微かに死に傾いているのを思い浮かべ、私は自分の首を優しく絞めた。
私が気を失った日、将の機嫌が悪かったのはどうやら玲子から遠回しに別れを切り出されたのが原因だったようだ。将は私とラブホに来ていながら玲子に電話を繰り返し掛け、その度に「ちくしょう、出ねえ」と言っている。室内をうろうろしながら狼狽している将を見つめるが、視線に将は気づかない。私は飲んでいたチューハイの缶をテーブルに置き、立ち上がってそのまま将へ近づいて行き後ろから抱き着いた。将は驚き身体をびくっとさせ「離せよ」と身をよじって私から離れようとする。私はそのまま力強く将の身体を抱き締める。その時将の背中に当てた耳から将の心臓の鼓動が聞こえた。ずれていた私の鼓動と将の鼓動が今一致した気がした。二人を繋ぐ管に詰まっていた血栓みたいなものが溶けてなくなったような気がした。気づいたら私は将に想いをぶちまけていた。
「私ね、将のこと好きなんだ。最初にヤッた日からずっと好きなんだ。でもさ、将は玲子の事が好きなんだよね。私はセフレなんでしょ。でもいいのそれで。でね、この前私気を失ったでしょ。将が起こしてくれたからまだ生きてるけどさ、あのまま放っておいて殺してくれても良かったのに、なんて思ったりしてさ。私変だよね。将の言う通りド変態だもんね。首絞められて喜んでイッちゃう女なんて気持ち悪くて付き合えないよね。良かった、ずっと言えなかったんだ。言えなくてずっと苦しかったんだ。おかしいね、苦しくて喜んでるド変態女なのにね」
激しく突き飛ばされた私は床に倒れ込んだ。全身が痙攣したかのように震え、涙が溢れてくる。将の前で泣くのは初めてかもしれない。潤む目で将を見ると、彼は私のことなど意に介さずスマホをいじっている。LINEで玲子にメッセージでも送っているのだろう。零れ落ちた涙が赤いカーペットの上に染みを作った。まるで血痕みたいに見える。じっとその染みを見ていると涙は血液と同じ成分だという話を思い出す。私の身体中に溜まっていた感情が血液に溶け出し、そして涙腺まで上がってやってくる。もう自分が何を望んでいたのか、何を求めていたのか分からなくなっていた。殺して欲しいなんて馬鹿げた願望ではなく、あの一瞬の鼓動の共鳴だけが欲しかったのかもしれない。私は今まさに殺されようとしている女の悲鳴のような声を上げ、赤いカーペットに出来た虚しい愛が溶けた涙の染みを両手の爪で引っ掻く。何度も何度も引っ掻く。私から零れ落ちていく愛を傷つければ私は救われるだろうか。そんなことはない。何も変わらない。ただ零れ落ちていく愛はきらきらと輝いて見えた。
将のつま先が染みを引っ掻く私の手元に現れた。気づかぬうちにこちらに来ていたらしい。私は顔を上げると将はしゃがみこんで言った。
「静かにしろよ」
将の手が私の首を絞める。また将への愛が鬱血のように溜まっていくのを感じた。涙は止まっていた。
(了)
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